2019.05.01

劇団スポーツがこんなにもいとおしく思えるのは、彼らがとことん好きなことを貫いているから。

劇団スポーツがこんなにもいとおしく思えるのは、彼らがとことん好きなことを貫いているから。
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劇団スポーツのお芝居を観ていると、たまに何だか無性に泣きそうになる。さっきまであんなにクスクスと笑っていたのに、ほんの一瞬の、とても無茶で、非合理的な、眩しさみたいなものに、鼻先がつんと痛むのだ。
そんな劇団スポーツのコメディはどのようにしてつくられているのだろうか。3人にその作劇法を聞いた。

明け方5時、ファミマで命名した「劇団スポーツ」。

ところで気になるのが、劇団スポーツという名前の由来ですが…。

最近、同世代で「劇団」ってつける団体があんまりいなくて。でもお客さんからしたら「劇団」ってついている方が劇をする人たちなんだっていうことがわかるから入りやすい。だから「劇団」はつけようっていう謎の縛りが最初にあって。

それで、内田の実家が呉服屋なんで、劇団着物屋にしようって言ったんですけど却下されました。

(そりゃそうだ)。

そこからいろいろ考えたんですけど、どれもあんまりピンと来なくて。確か夜の8時くらいから話し合ってたんですけど、気づいたら朝の5時になってた(笑)。

で、こいつの家で考えてたんですけど、部屋にトイレがなくて。

いや、あるはあるんだけど、和式で。建物自体もすごいボロ家で。

そんなクソ恐ろしいところに住んでたんです。

もう今はなくなっちゃったんですけどね。ちなみに「本川荘」って名前でした(笑)。

失礼だけど確かにボロそうな名前…!(笑)

そういうところだから、徒歩2分のところにあるファミマを「トイレ」って呼んで、よく利用してたんですね。そのときも喋りすぎて疲れたし、ふたりして「トイレ行こう」ってファミマに行って。

デザートコーナーで商品を何となく見てるときに、ふっと「田島は好きなもの何?」って聞かれて出てきた答えが「スポーツ」でした。その瞬間、ふたりして「それだ!」ってなって、劇団スポーツでいこうと。

一言で言うと深夜テンションです(笑)。

絶対オシャレになり得ないことをオシャレにやりたい。

劇団スポーツの脚本・演出は、旗揚げメンバーである内田と田島が共同で手がける。その魅力のひとつが、思わず気になるキャッチーかつオリジナルな切り口だ。

たとえば、『略式:ハワイ』はハワイに行けなかった高校生3人組の話。なぜか劇中、3人はエアロバイクに跨がっている。何でも自転車を漕いでないと照明が落ちる、という設定らしい。なんだそれ。でもその意味のわからない感じが、何かいい。

『グランマに伝えて、アニーは不死身。』(以下、『アニー』)は、怒りのエネルギーで二段ジャンプができる少女の話。だけど、彼女は特技の二段ジャンプがいつしか跳べなくなってしまう。そんな少女の話と、不測の妊娠をしてしまった若いカップルのストーリーが同時進行していく。

『魔女の宅急便』のキキじゃないけれど、少女が大人になる中で失うものは、いろいろある。それを「二段ジャンプ」という一見謎なモチーフに置き換えて描けているところが、肩の力が抜けているようで、策士だ。

そんな突飛すぎず、ふざけすぎてもいない、でも妙に引っ掛かるアイデアの発案者は内田。そのワンアイデアを軸に物語を構成していくのが田島の役目だ。

絶対にオシャレになり得ないことをオシャレにやりたいっていうのがいちばん。まさか平成も終わろうとしている年の演劇人が、二段ジャンプを跳ぼうとするお話をやろうとか思わない(笑)。だからこそやりたいというか。

基本は相手が出したネタについてつまらないなと思ったら、納得いくまで意見をぶつけ合います。うちの創作スタイルは完全に論破合戦(笑)。相手を論破できた方の意見が通る仕組みです。


そして、一応名目としてはプリセット確認担当の竹内は、俳優専門。創作の主軸を担う内田と田島に対し、竹内はどういうポジションにいるのだろうか。

入ったばっかりの頃は、コイツらの輪に入れればいいなっていうのがあったんですけど。最近はこのコンビ感って普遍的というか。僕がいるのとは、ちょっと違うものがあるんですよね。

だから今はふたりが楽しくやってる中に「僕も入れて~」ぐらいの感覚です(笑)。

謙虚…!

無理に入ろうとするのは違うなって。ふたりが必要としてくれている部分は感じるんで、それで十分です。

たぶんいちばんお客さんに近いのが蓮かなって気がします。蓮が面白いと思ってくれるかどうかが、ひとつの指針になる。

でも台本読んで「ここ面白くないよ」って言っても、すごい勢いで反論が返ってきて全然論破できない(笑)。

うちは論破合戦だから(笑)。

またこいつら弁が立つんですよ。さすが僕より1年長く劇団スポーツをやっているだけのことはあるなって思います(笑)。

劇場でコメディを見てハハハッと笑えると、なんか呼吸できた気がする。

軸は、コメディ。だけど、ドタバタっていう感じじゃない。バカっぽく見せてるけど、実はクレバー。ちょっとだけ世の中をヒネて見ているような飄々としたところもある。

演劇だからって妙にテンションが上がったりもしない。平熱よりちょっと下。いい意味でそんなに熱が上がらないところが、何だか今っぽい。

熱が上がらないのは、何でだろう…。やっぱり恥ずかしくなるっていうのはあるかも。

それは大きいね。

客演先とかでキラキラしたものをやったりするのはすごく楽しいんだけど、「俺らだけでやるか?」ってなったら「俺らだけじゃ厳しいな…」ってなっちゃう(笑)。

そもそも人前で大声を出すこと自体が恥ずかしいっていう。

演劇の根本を否定した…!

基本的には滑稽に見てもらいたいなっていうのはあります。最初のワンアイデアにこだわるのも、そのワンアイデアが滑稽なものであれば、お客さんも真面目すぎずに見てくれるというか、面白がってくれるんじゃないかなっていうのがあって。

若い劇団の場合、書き手の自意識がむき出しの作風って多い気がして。劇団スポーツからはそういう自意識を一切感じないのが、若いわりに珍しいなと。

それも恥ずかしいっていうのが大きいんですよね。

何だろう。いい意味であまり何もない(笑)。いい意味で頭が悪い(笑)。

別に世の中に伝えたいメッセージとか日々の憤りがない。

田島がよく言うんですよ。目の前の人を笑わせることが好きでやってたら、いつの間にか演劇をやってた、って。

そんなこと言ってるか、俺。

お前じゃない、それ。よく言ってるよ。

え、言ってるか? (2秒くらい考えて)…言ってるわ。

変わり身が早い(笑)。

うちは3人とも献身っ子なんですよ。

献身っ子?

劇団献身が好きで。それで献身っ子。まあ、そんな言葉があるかどうかわからないですけど。

(たぶんない)。

劇場でコメディを見てハハハって笑えると、何か呼吸ができた気がして。その感じが好きだから、僕らもコメディをやっているというか。それに、クレバーな演劇は他の同世代がやってくれてるんで(笑)。

広く受け入れられたいっていうのはあります。もちろん20代にしか刺さらない芝居っていうのも大切だしすごいなと思うけど、この3人でやるなら別にそこだけを狙わなくてもいいんじゃないかって。

演劇好きな人にしか受けない芝居じゃなく、演劇を知らない人も演劇を好きな人も楽しめるエンタメがやりたいし、俺らの手腕ならできると信じたいなって。

根本にはたぶん、ちゃんと演劇を勉強してきたわけじゃないことへの引け目があるんです。小さい頃からめちゃくちゃ戯曲を読みふけていたわけでもない僕らに正統派のことはできない。じゃあもう楽しむしかないだろうと。

ひとつ誤解がないように言っておくと、今の現代演劇と括られるような作品も大好きなんですよ。地点とかサンプルとか範宙遊泳とか大好き。

でも「好き」と「やれる」は違うなと思って。俺らに地点はできない(笑)。

身体論とか語れないしね(笑)。

初めて献身を観に行ったときがまさにそうですけど、小さい劇場で何が始まるかわからない中、とんでもないものを見せてくれた。あのワクワク感が僕の演劇の原体験。だからこそ、僕はやっぱりエンターテイメントをやっていきたいっていう気持ちです。

みなさんの笑いのルーツは?

根本は吉本新喜劇。大学生になってからお笑いとかよく見るようになって、好きなのはバナナマン。

僕はさまぁ〜ずですね。

僕はナイツです。あとラバーガールとか。

影響を受けているという意味で大きいのは、『ピューと吹く!ジャガー』。

ああ。確かにめちゃくちゃジャガーさんみを感じます。

僕のネタの元ネタはジャガーさんにある気がします。あれも体温低めの日常系で、たまに激しいことが起きたり。一般的なドラマを斜に構えて見てる視点とかすごく面白い。シュールもあるしメタもあるし、全部の典型を網羅している。僕のバイブルですね。

恥ずかしくて言えないようなピュアな台詞に心が動かされてしまう。

その一方で、ただゆるめのコメディをやっているわけじゃない、というのが劇団スポーツの隠し味だ。ドラマを見せようとか、泣かせてやろうとか、そんな計算は一切感じないのに、ふとした瞬間に詩情が溢れ出る。それはノスタルジックだったりセンチメンタルだったり、わかりやすく言うとつまり「エモい」ということなんだけど、むちゃくちゃポエジーな瞬間があって、不覚にもグッと来てしまう。

あの一瞬キレイになっちゃうのは、僕の脚本です(笑)。

恥ずかしがり屋のくせして、結局そういう恥ずかしいのをやっちゃうんですね(笑)。

結局好きなんですよね、そういうベタなのが。

僕が観客として舞台を観ていても、いちばん心を動かされるのは、そこだけ切り取ったらこんなの恥ずかしくて言えないよってなるようなピュアな台詞を、そういうのを一切感じさせずに役者が言ってるとき。だからつい自分が書くときもそういうのをどこかしらに入れたくなるんですよね。


そんな眩しさが凝縮されていたのが、2018年10月に上演された『はしらない』だ。軽音部に茶道部、放送部にバスケ部など、いろんな部活に所属する、カーストもまばらな高校生たちが絡み合ったり絡み合わなかったりしながら、“高校時代”という瞬間を切り取る青春劇。

ドラマとして何かきちんとしたものが成立しているかと言えば、そうでもない。とっちらかっている、という印象ももっともな気がする。でも、そういう筋道の正しさとはまったく別のところで、どこにも行けない高校生たちの風景が描写されていて、サーチライトに瞼を焼かれたような気持ちになった。

だが、そんな観客のリリカルな心情とは裏腹に、彼らの振る舞いはのらりくらりとしていて、隙あらば脈絡のないボケをツッコんでこようとする、照れ屋の男子そのままだ。そこがいとおしい。

同世代の劇団の中でも注目度が増していますが、次世代の演劇シーンの担い手としての自覚はありますか?

ないですね。たぶん本流はいわゆる現代演劇みたいなところで。僕らは完全に傍流ですから(笑)。

面白いと思ってくれる人がいるなら、傍流でも何でもいい。そこにこだわることはないです。

面白ければ何でもいいよね。

たぶんそこを意識しすぎると、嘘をついちゃうことになると思う。

本流/傍流にこだわらず、自分たちが面白いと思っていることをまずやること。それがいちばんですね。


話を聞き終えてみて、改めて劇団スポーツの持つ眩しさの正体について考えてみた。

そして思ったのだ。たぶん彼らは何もかもちゃんとわかっているんじゃないかと。演劇の不便さもチープさも、物語なんてものをやることの気恥ずかしさも無意味さも。もしかしたら劇団を続けていくことの難しさや途方のなさも、全部全部。

その上で、それがどうかしましたかと。それでも自分たちはこれが面白いと思っているから、今この瞬間は好きな通りにやりますねと。彼らは真面目に舞台の上で遊ぶ。

その居直りはある種祈りにも似ていて。

飄々とした態度の根本には切実さがあって。

それが光となって漏れ出てしまうから、少なくとも僕は、放課後の西日を射返す教室の机を見るような気持ちで、彼らの中に詩情を感じ取ってしまうのだ。

劇団スポーツ。別にスポーツはしません。だけど、今、僕の中ではまるでスポーツを見たときのように心を熱く躍動させてくれる存在だ。


取材・文・撮影:横川良明   舞台写真提供:劇団スポーツ

My ゲキオシ!

ウンゲツィーファ

朝まで飲んだ帰り道、忘れたくないなと思った感覚、でもいずれ忘れてしまうもの。そんな日常生活の中では雑音として消去されてしまうものを、僕らの心の一番弱いところからすくい上げてくれます。超がつくほど丁寧で、ときにラフすぎるほどラフな姿勢に、ショックを受けます。(内田倭史)

劇団献身

かっこ悪い男たちが意地汚く足掻き、3行に一個のペースで貪欲に笑いを取ってくる。ラストシーンで号泣するか爆笑するかはあなた次第。自然と脳内で銀杏BOYZが流れてくる泥臭い劇団です。(田島実紘)

Straw&Berry

ミラーボールが回り、爆音の音楽が流れ始めたと思った直後には目の前の人間が普通の声で淡々と日常会話を始めます。愛・青春・死をリアルに描き、観終わったあと心のなかにいる大切な人を思い出して胸が少しきゅっとなります。(竹内蓮)

プロフィール

劇団スポーツ

2016年旗揚げ。作・演出の内田倭史と田島実紘、プリセット確認担当の竹内蓮よりなる。別にスポーツはしません。
ワンアイデアから無理やり構想された物語と演劇の可能性を大胆に誤解した演出、脚本を無視し舞台上で思ったことを口にする俳優たちが特徴。
“わかっちゃいるけどやめられない”をモットーに「だらしなさ」をどこまでもストイックに描きます。
佐藤佐吉大演劇祭 2018 in北区にてえんぶ賞受賞。2018年10月に花まる学習会王子小劇場にて上演した『はしらない』で佐藤佐吉賞演出賞受賞。