2017.10.06

コイツらとならもっと面白いものをつくれる気がした。松居大悟がゴジゲンを続けるたったひとつのシンプルな理由。【ゴジゲン 松居大悟】

コイツらとならもっと面白いものをつくれる気がした。松居大悟がゴジゲンを続けるたったひとつのシンプルな理由。【ゴジゲン 松居大悟】
  • 放課後感
  • 青春度
  • 男子度
  • イケてなさ
  • コメディ度
  • ライブ感

監督デビュー作となった映画『アフロ田中』から、深夜帯にもかかわらず大きな話題を呼んだドラマ『バイプレイヤーズ 〜もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら〜』まで。今、松居大悟の名前はメディアで拡散され続けている。新進気鋭の映画監督として華やかに紹介される松居大悟は、とてもスタイリッシュで、いかにも注目の若手クリエイターらしい。
だからこそ、こうして久しぶりに演劇の世界に戻って、すぐそこのコンビニに行くような恰好で取材を受ける松居大悟を前にすると、少しだけ安心する。この人は何も変わっていないのだ、と。
ゴジゲン主宰・松居大悟。今や映画監督という肩書きで形容されることの方が多い彼だけど、ここでは敬意をこめてそう紹介したい。これは、突然の活動休止から3年、ゆっくりと、自分のペースで歩み出したゴジゲンの、これまでとこれからの話だ。

突然の活動休止宣言。人気劇団の裏側にあった、見えないひずみ。

2011年12月8日未明。ゴジゲンは、突然活動休止を発表した。2008年10月の旗揚げ公演から3年、破竹のスピードで成長し、第11回公演『極めてやわらかい道』で2000人動員を達成。今後のさらなる飛躍を多くのファンが期待した矢先のことだった。

「ずっとモヤモヤしたものはあったんです」

そう松居は当時の心境を思い返す。

もともと創作意欲の旺盛な子どもだった。小さい頃は、よく親から買い与えられたぬいぐるみを使って、ベッドの上で人形遊びに興じた。そこから絵を描くことを覚え、自由帳にマンガを描いては、クラスの友達に見せて楽しんでいた。演劇を始めたのは、大学生のとき。学内の演劇サークルに入団し、やがて自分で前身となる団体をつくり、作・演出を務めるようになった。

「駅前劇場でヨーロッパ企画の『サマータイムマシン・ブルース2005』を観て、すごく面白くて。ああいうのがやりたいと思って書いたのが、第1回公演の『かけぬけない球児』。最初はとにかくヨーロッパ企画の真似ばっかりしてました」

ずっとコンプレックスばかりだった、と言う。それこそかつては漫画家を志した時期もあったが、敢えなく挫折。だから、自分の作品が面白いかどうかの自信なんてまったくなかった。ただその分、面白いものをつくりたいという熱意と行動力だけは負けなかった。08年には大学を休学し、憧れのヨーロッパ企画の公演に文芸助手として参加。そこで、メンバーの諏訪雅と永野宗典に相談して「ゴジゲン」の名を授かった。

「自分にしかできないものがあるかもしれないなあ、というのをぼんやり思いはじめたのが第6回公演の『チェリーボーイ・ゴッドガール』のときですね。僕にとって身近で強いコンプレックスに“女性が怖い、童貞”というのがあって。そこから“童貞を卒業するくらいなら死んだ方がマシ”っていうお芝居をつくったんですよ。そしたらひたすらにエネルギーが込められて。やっと自分のやりたいことをやれたっていう手応えを得られた公演でした」

そして2010年9月、第9回公演『美しきラビットパンチ』で念願の駅前劇場に進出。すべてが順調にいっている、はずだった。

自分は演劇には向いていない。上昇気流とは裏腹に、徐々にすり減る創作意欲。

「それまでずっととにかく早く大きい劇場に行きたい一心でやってきて。やっと憧れだった駅前劇場で公演が打てた。それでどっか目標を達成した気持ちが生まれて。以来、どこを目指していいんだろうっていうモヤモヤしたものはずっと自分の中にありました」

空回りする気持ちとは裏腹に、劇作家・演出家としての評価は加速度的に伸びていった。2010年11月には、人気アイドルを主演に『0号室の客~帰ってきた男~』で初の東京グローブ座に挑戦。当時まだ24歳という年齢だけ見ても、その早熟ぶりが伺える。さらに2011年4月には、のりつけ雅春の人気漫画『アフロ田中』のメガホンをとることも発表された。演劇から映像へ、松居大悟の名は新鋭クリエイターとして広くメディアでも取り上げられるようになった。

「そういう周りのムードと自分のメンタルがどんどん乖離してきて。そこに気づかないようにしてたんですけど。今になって思えば、このままじゃまずいんだろうなっていうことは薄々感づいていた気はします」

松居は言う、自分は演劇に向いていない、と。

「それは今も思ってます。人を先導するのができないんですよ。もし演劇が、演出家が座組をリードすることで生まれるものだとしたら、僕は演劇には向いてないんだろうなって思う。特に休止前は、とにかく自分がリードしなくちゃ、早く売れなくちゃって、そればっかり。ひとつひとつの作品も何か追われるようにつくってた。だから、辛かったんだと思います」

もはややりたいものなんてなかった。途中から無理矢理自分のコンプレックスを探す作業になってましたね、と松居は苦笑いする。それくらい、疲弊していた。バランスを失ったジェンガ遊びのようなものだ。いつ崩壊してもおかしくはない。そして、最初にブロックを抜いたのは、大学入学からずっと歩みを共にしてきた劇団員の目次立樹の方だった。

「『極めてやわらかい道』が終わって、その後、劇団会議をしたんですよ。そこで、目次が“辞めようと思う”って」

やりたいことがなくなった。ゴジゲン、空中分解。

目次立樹は、第1回公演の『かけぬけない球児』から全作品に出演してきた唯一の俳優だ。ゴジゲンは、松居と目次のふたりがいてこそ。そう慕うファンも多い。その盟友が、目の前で退団を宣言した。当然、何としてでも翻意を促すのが、主宰の務め。だが、松居は一切引き止めることはしなかった。それどころか自ら活動休止を決断した。最後にジェンガを崩したのは、松居本人だった。

「正直に言うと、目次がそう言ってくれたときにすごく楽になったんですよ。これで休めると思って。ずっと気づかないようにしてただけで、とっくの昔からもうダメだったのかもしれない。目次もきっと劇団が上手くいっていないことに気づいていたんだと思う。ただ僕は少なくともそう言われるまで、目次が辞めようと考えてるなんてまったく気づいていなかった。それくらい周りが見えなくなっていたんです」

当時、ゴジゲンは翌年に駅前劇場、翌々年には本多劇場での公演が決まっていたが、すべてキャンセル。そして12月8日の深夜にひっそりと活動休止を発表した。

松居はそのときのブログで胸の内をこう綴っている。

僕は、ゴジゲンの皆がそんなに演劇が好きじゃなくて、メンバー同士もそれぞれそんなに興味ない、という適度な距離感が大好きでした。好きじゃない感じが好きでした。

だから、目次が今回の公演を終えた後に、「ゴジゲンを辞めたい」と言ったとき、「おー、わかった」とすんなり言ってしまいました。僕らはただ面白いものを作るために、自己責任で集まっているだけなので、泣いて引き止めないし、笑って歓迎もしないみたいです。きっと普通の劇団だったら、こんなことにはなってないと思います。だから、大好きだったそんな距離感が、今だけは、とても憎いです。

二度と演劇はやりません。そう言って、演劇から逃げたあの日。

だが、そんな流れにひとり逆らう者がいた。同じく劇団員の東迎昂史郎だ。東迎はずっとゴジゲンに憧れていた。東迎にとっては、念願叶ってようやく劇団員になれたところだった。その喜びに浸る間もなく活動休止。事実を認めたくない東迎は、活動休止発表後も、ひとり劇団ブログを更新し続けた。読者が活動休止を指摘しても素知らぬふりで誤魔化した。何とも子どもじみた、だけど切実な“悪あがき”だった。そんな仲間のささやかな抵抗を、「泣ける話ですよね」と松居は嬉しそうに振り返る。

「あのとき、ゴジゲンを死んでない感じにしてくれてるのはヒガシ(東迎)だった。ブログを書いていたのは知ってたし、それはすごく嬉しかった。ただ、ヒガシの気持ちに応えたいという気持ちはあったけど、僕と目次が問題を解決しない限り、どうしようもないのも確かでした」

活動休止以降、松居は、未練の二文字を振り払うように、怒濤の勢いで仕事をこなした。

「何も考えたくないというか、暇があったらろくなことにならない気がして。ちょうどその頃から映画とかMVの仕事をもらえるようになったので、とにかくそっちに集中して、余計なことは何も考えないようにしていました」

一方で、活動休止を発表したブログの中で、松居はこうも綴っていた。

僕はゴジゲンのメンバーも好きじゃないし、ゴジゲンの作品も全く面白いとは思えません。でもゴジゲンそのものは好きで好きで好きでしょうがないです。休止したくないです。やりたいことが生まれない自分が本当に憎いし、ぶっ殺してやりたいです。だから、いつか自分が面白いって思える作品ができるまで、とりあえず大嫌いな演劇を続けようと思います。そのためにはゴジゲンやメンバーが必要なので利用させてもらうつもりです。

しかし、そのブログから1年足らず、松居は演劇そのものからも身を引くこととなる。

きっかけは、2012年に脚色・演出を担当した『リリオム』だった。同作は、イキウメの前川知大からハイバイの岩井秀人まで、気鋭の劇作家・演出家を招聘した青山円劇カウンシルの第5弾。初の青山円形劇場。演劇人としてのキャリアに箔をつける上では、これ以上ないステージだった。だが、そこで松居は身も心もボロボロとなる。

「一生懸命やればやろうとするほど、どんどん自分の思っているものとかけ離れていった。僕、その公演の打ち上げで、みんなの前で号泣したんですよ、やりたいことができなくてすみませんでしたって。その足で事務所に行って、事務所の人に二度と演劇はやりませんって宣言しました」

映画監督として走り続けた日々。頭でっかちだった僕が、人とつくる楽しさを知った。

演劇のことが、怖くなった。演劇のことが、嫌いになった。だから、逃げた。演劇に背を向けた松居は、ただひたすら目の前の道を走り続けた。『男子高校生の日常』『自分の事ばかりで情けなくなるよ』と立て続けに新作映画を発表。クリープハイプ、大森靖子ら人気ミュージシャンのMVも多数手がけ、音楽ファンからもその名を知られるようになった。

「単純に面白かったですね、映像を作ることは。わかりやすく華やかな世界だし、取材していただけることもどんどん増えて。やってることがどんどん広がっている手応えがあったし、もっとやりたいなって気持ちも自然と沸いてきた。夢中でしたね」

その中で少しずつ創作スタイルにも変化が生まれた。

「クリープハイプと一緒にやれたのは大きかったです。劇団でやってたときは、やりたいことは全部自分で考えなきゃいけないと思い込んでて、それが自分を追いつめてた。でも、(クリープハイプの)尾崎(世界観)くんとは一緒につくるということが自然とできて。尾崎くんの話を聞くことで、自分では全然思いつかないようなものが生まれて、それが面白くて、いろんな人の話を聞けるようになった。ずっと頭でっかちだった僕が、いろんな人と相談しながら、のびのびとモノをつくることができたんです」

一方で、演劇に対する引け目は常に心につきまとった。

「演劇から逃げたっていう後ろめたさはずっとあって、昔みたいにあんまり観に行くこともできなくなりましたね。演劇のことを考えると目次のことがチラつくし、そうなるとあの頃を思い出して辛くなる。心の底の方ではずっと気にしていたけど、あまり考えないようにしていました」

深夜3時の電話。酒の勢いで飛び出した“演劇やろうぜ”の一言。

空白の期間中、目次と連絡を取ることもなかった。実に3年もの間、ゴジゲンは沈黙し続けていたこととなる。膠着状態を突き破ったのは、一本の電話。背中を押したのは、酒の勢いだった。

「(善雄)善雄たちと飲んでて、深夜3時くらいだったかなあ、ベロベロに酔っ払って。それで、“目次に電話しよう”って話になったんですよ」

それは、ただの酔っ払いの悪ふざけだったのか。それとも、積もりに積もった愛惜が、アルコールと共に溢れ出たのか。松居は、現・劇団員の善雄善雄の携帯を借りて、久しぶりに目次に電話をかけた。

「そしたら目次が出て。“何してるんだ?”って聞いたら、“岩松了の戯曲を読んでた”って言うんですよ、深夜の3時に。それで、僕が“演劇したいんじゃないか、やろうぜ”って言って。目次も“やるか”って答えて。で、目次の気が変わらないうちに、次の日に事務所に行って劇場を押さえてもらいました」

酔っ払ったテンションじゃなきゃ言えなかったけれど、と松居は照れ笑いをした。

いつも松居はこのあたりのエピソードを聞こうとすると、少し恥ずかしそうに、はぐらかすような素振りを見せる。自分たちの身に起きた小さな奇跡を、いかにもクサい言葉で表現するのが、少しむず痒いのかもしれない。とにもかくにも、3年間の沈黙を、そんなふうにしてひょいっと飛び越えた。わだかまりも、溝も、まるで全部なかったような感じで。そして、その話を聞いて思うのだ。ああ、男の子っていいな、と。ゴジゲンっていいな、と。

周りの目はもう気にしない。今はずっと劇団をやることをのびのびと楽しんでいる。

「活動を休止する前までは、すごく頭でっかちになっていたけど、今はだいぶ変わってきていて。映像の仕事に関しても、ゴジゲンに関しても、リードしないで生まれるやり方を見つけることができた。おかげで、だいぶのびのびやれている感じはありますね」

夏場になれば、雪駄がマスト。気取らないTシャツ姿が誰より似合って、感傷的な文章を書かせると、つい気恥ずかしくなって無駄に「うんこ」なんて子どもじみた単語を挟み込んでしまう。そんな松居らしさが、帰ってきた。

今、劇団活動をしている松居は追いつめられた様子なんて微塵もない。とにかく楽しそうで、肩の力が抜けている。そう思うと、この3年間の活動休止期間にも意味があったのかもしれないと言葉をかけると、少しだけ真面目な顔をした。

「わかんないです。やっぱり失ったものはすごく大きくて。当時来てくれてた人たちが来なくなったりとか、よくしてくれた演劇ライターの人も来なくなっちゃったりとか」

そう正直に告白した。

確かに今、ゴジゲンは不思議な立ち位置にいる。松居本人は『バイプレイヤーズ』の成功もあり、クリエイターとしての評価は高まる一方。往時を知る演劇ファンも多く、ゴジゲンという名前は界隈で一定の知名度を保っている。

その反面、活動再開以降、本公演は今回の『くれなずめ』で3本目。休止前は年間3公演のハイペースで活動をしていたことを考えても、決して精力的とは言いがたい。いわゆるメインストリームから少し外れた脇道で、呑気にキャッチボールをしているような感じだ。

「本当に不思議な立ち位置だと思いますね。どこのジャンルにも所属していないというか。休止前の僕らは辛うじてメインストリームにいたような気がするんですよ。それが、3年間休止したおかげで、見え方的には僕なんて“アイツは演劇を捨てて映像に行ったぞ”ってなってるだろうし、戻ってきても“どの面下げてだよ”って思われている気もする(笑)」

そう茶化してから、本音を漏らした。

「ただ、今の僕は小劇場界でどうこうというのはわりとそんなに気にしていないですね。昔はそれこそ勢いのある劇団だって見られたいから、大きい劇場をどんどん押さえていったけど、今はそういうのも全然気にしない。今後の展望とか考えようと思っていないです」

ゴジゲンにいると最初の気持ちを思い出せる。だから、ゴジゲンで劇をしている。

売れたいとか、認められたいとか、そんな欲望で雁字搦めになっていたあの頃とは違う。大会に出ない部活みたいな感じですね、と松居は笑った。

だからこそ、聞いてみたかった。だったらどうしてゴジゲンを続けているのか、と。今の松居であれば、もっと他にお金になる仕事はいっぱいある。有名人が主演だとか、予算や規模が大きいだとか、そういういわゆるステータスの高い仕事だって狙えるだろう。なのに、なぜ彼はゴジゲンに帰ってくるのか。ゴジゲンで劇をしたがるのか。

「確かにやらない方が得なんですよね。これをやるために断ってる仕事もあるし、それで稼げるだろうから。でもそういうのじゃないし、ここにあるのは」

そう認めた上で、さっぱりと言い切った。

「この5人と一緒にいたらもう少し面白いものがつくれる気がするから、やってるだけなんですよ。そしてそれを、今まで関わってきた人たちが観に来て面白がってくれたらいいなって。ゴジゲンでチヤホヤされたいというのはもうないですね。全然外は見ていない。コイツらとなら面白いものがつくれる気がするっていう、ただそれだけです」

そして、それはクリエイター・松居大悟にとって得がたい時間となっている。

「始める前は結構しんどいんですよ。何するんだとか、チラシつくらなきゃとか、準備しなきゃいけないことがいっぱいあって。なんで劇やるんだっけって思うんですけど、いざ稽古が始まると、純粋に楽しんでる自分がいて。その楽しさは他でやってるものとは違う。地に足がついた感じというか。たぶんここにいると、いちばん最初のときの気持ちをいつも思い出せるんです。まだ演劇を始めたばっかりの頃の、楽しかった気持ちを」

楽しかった最初の気持ちを常に忘れずにいたい。その言葉は、大きな大きな渦の中心に立たされることの多い松居だからこそ、重く、深く、意味を持つ。

「いろいろやってると忘れかけちゃいそうになるから。数字とか、大きいお金が動いたりとか、有名な人がいっぱい来たりとか、そこに自分が向いていっちゃいそうになったとき、ゴジゲンをやると、やりたいからやってるんだ、面白いからやってるんだって、最初の気持ちを思い出せる。すごくそれを大事にしたいなっていうのはありますね」

ゴジゲンに出てくる人たちは、どうしようもない人ばかりだ。日の当たらない場所で生きている人々の不器用なやりとりが笑えて、いとしくて、そしてちょっと泣けてくる。彼らに注がれる優しい視線は、きっと松居大悟の人柄そのものだ。ふがいなくて、情けなくて、でも仲間想いで、ふざけたがりで、すごく温かい。そういう松居大悟が好きで、ゴジゲンの仲間たちも彼のもとに集まってくるのだろう。

松居大悟は、変わらない。たぶんこれから先、今よりもっと有名になったとしても。近所のコンビニに行くような恰好で、男同士、バカな話で盛り上がって、時々劣等感とか反骨心とかそういうものに苛まされながら、好きな人と、自分が面白いと思うことをやり続ける。そのひとつの場所として、ゴジゲンはこれからもあり続けるのだ。きっと。ずっと。

取材・文・撮影:横川良明   画像提供:ゴジゲン   舞台写真撮影:村田麻由美

My ゲキオシ!

劇団献身

劇団員の奥村徹也が主宰を務める劇団です。5秒に1回笑いをとろうっていう、そのギャグ精神がいいなって。演劇界ではそういうのって軽く見られるんですけど、それを理解した上でちゃんとコメディをやっているところが潔いし、あまり報われていないだろうから(笑)、ちゃんと報われてほしいなって思います。

プロフィール

松居 大悟(まつい・だいご)

1985年11月2日生まれ。福岡県出身。引きこもっていた中学時代、漫画家を目指した高校時代を経て、慶應義塾大学入学とともに創像工房 in front of.に入団、08年にゴジゲンを結成。映画監督としても活動中。
09年、NHK『ふたつのスピカ』で同局最年少のドラマ脚本家デビュー。12年に『アフロ田中』で長編映画初監督。その後、『スイートプールサイド』『自分の事ばかりで情けなくなるよ』など作品を発表し、『ワンダフルワールドエンド』でベルリン国際映画祭出品、『私たちのハァハァ』でゆうばり国際ファンタスティック映画祭2冠受賞。枠に捉われない作風は国内外から評価が高く、ミュージックビデオ制作やコラム連載など活動は多岐に渡る。

ゴジゲン

2006年、慶應義塾大学公認演劇サークル“創像工房 in front of.”において結成。08年4月に正式に独立。主宰の松居大悟が全ての作・演出を手がける。メンバーの出身地は、福岡・島根・沖縄・北海道・岐阜・富山となぜか地方に偏っている。
ヨーロッパ企画主宰の上田誠氏が「意気の上がらない人たちがワチャワチャするコメディ 」と称するように、不器用にしか生きられない人間達が紡ぎだす軟弱なシチュエーション コメディを上演。していたが、近年は作るってなんだよ生きるだけだろと主張。
07年に参加したシアターグリーン学生芸術祭では8団体の中で関東代表に選ばれ、 08年春に大阪公演を敢行。09年春には福岡進出など、全国を視野に入れた活動を展開。 11年、『極めてやわらかい道』では2000人以上を動員。
その後、3年の活動休止を経て、 14年、『ごきげんさマイポレンド』より活動を再開。