2016.12.21
これぞ王道エンタメ。胸揺さぶる男芝居をつくり続ける風雲児の波瀾万丈の半生と、父への想い。【ゲキバカ 柿ノ木タケヲ】

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女も男も憧れる、男芝居のトップランナー・ゲキバカ。
ゲキバカの魅力。それは何と言っても、その熱さだろう。主宰の柿ノ木含め男ばかり。暑苦しいまでに熱い彼らが繰り出すのは、殺陣ありダンスありの娯楽大作から、下ネタ満載のお下劣コメディまで実に幅広い。その振り幅に驚かされるが、芯にあるのは男の美学だ。
戦火の中で映画の世界に生きた男たちを描いた『0号』しかり、火消しに化けた狸族の王子による仇討ち劇『ごんべい』しかり。バカバカしいギャグとSFスペクタクルが合体した近作『NBL大作戦』でさえも、荒唐無稽な展開の結末には、愛した女性のためにすべてを捧げる一直線の男気がこめられている。
草食の世にはどこか昔気質にさえ感じる男っぷりの秘密を紐解くと、柿ノ木自身の生い立ちにヒントが見えた。
「家族構成は両親に姉2人。姉には厳しい父でしたけど、待望の長男ってこともあったのか、僕には随分甘かった。おかげで好き放題させてもらいましたね」
そう自らのバックボーンを振り返る。しかし、この「好き放題」という言葉がクセモノだ。なぜなら柿ノ木の指す「好き放題」は、一般的に想定されるよりもずっと規格外の「好き放題」だったのだから――
父親譲りの激しい気性。喧嘩に明け暮れた血気盛んなティーンエイジ。
「昔から勉強も運動もよくできた方だとは思います。友達もいたし、正直、コンプレックスというコンプレックスはないかも。せいぜい柿木(かきのき)って本名が珍しくて、ちょっと恥ずかしかったくらいですね」
幼少時代の日々を辿るようにして、そう柿ノ木は語りはじめた。小さい頃の思い出があまりないという柿ノ木の記憶回路に、今も強烈に焼きついているのは他ならぬ父の姿。建築士を生業とする父親は、地元ではよく知られた有力者だった。
「喧嘩っ早い人でね。僕が生まれてからお酒は断ったんですけど、それまでの間はよく酔っ払って帰ってきてはタクシーの運転手と喧嘩になっていたみたいです。家族で旅行に出かけたときも、決まって旅先で誰かと喧嘩になっていましたね」
血の気の多さは、父親譲りなのかもしれない。柿ノ木も小学生の頃からよく喧嘩をしたという。中学は、私立の名門校に進学。県内の秀才が集まる進学校で、柿ノ木はエリート街道から「脱線」した。
「散々問題を起こしてはよく停学になっていました。僕、高校の停学記録を持ってるんですよ。5年前くらいに久しぶりに母校に顔を出したら、当時の学年主任が校長になってて、“何しに来たんだ!?”って警戒されました(笑)」
喧嘩相手は、他校の不良生徒が中心。通学路で出くわしては木刀片手に火花を散らした。しかし、そんな問題児がなぜよりにもよって演劇を始めたのか。出発点になるのは、高校の演劇部だ。
目当ては、可愛い先輩。不純な動機で始めた演劇に夢中になった理由。
「高校が1年生のときは絶対に部活に入らなくちゃいけない決まりで。いちばん楽そうだと思って選んだのが演劇部でした。見学に行ったらお菓子は出してくれるし女の子も多いし、いいなと思ったんですけど、発声練習をやっているのを見て、これはダメだと(笑)。ただ、先輩に可愛いマドンナみたいな人がいて、その人がいるからって理由だけで、とりあえず続けることにしたんです」
いかにも軽い男子高生らしい動機だ。しかし、そんな不純な動機で始めたはずの演劇に、柿ノ木は思いがけずのめりこむことになる。きっかけは、初舞台のカーテンコールだ。
「席数300人くらいの市民ホールだったんですけど、お客さんから大きな拍手をもらって。今までそれだけ大勢の人に認められたことってなかったから、ついその場で泣いちゃったんですよ。そのときですね、これは真剣に頑張ろうと決めたのは」
以来、柿ノ木は部活にだけは、あらん限りの情熱を注いだ。ただし、あくまで“部活にだけは”だ。
「真面目なのは部活だけ(笑)。よく授業をサボッて、屋上で台本を読んでいましたね」
高校2年時には、全国大会への出場権を獲得。しかし、その栄冠の裏側で柿ノ木は問題行動を連発させ、警察沙汰に。ついに退学寸前にまで追いこまれた。もとより高校に未練はない。退学と命じられれば大人しく従うまでと腹を括っていた柿ノ木を引きとめたのは、担任であり、演劇部の顧問であった恩師だった。
「先生がうちまで来て言ってくれたんですよ。“柿ノ木、もしお前が演劇の道に進みたいなら、あと2年、真面目という役を演じろ。そしたら彼女とも友達とも一緒にいられるから”って。あの頃、他の先生から疎まれていた僕を守ってくれたのが、その先生でした。あのときの先生の一言のおかげで、結局留年して計4年通うことになったんですけど、何とか真面目を演じ切ることができたんです」
盟友・西田大輔との出会い。そしてAND ENDLES旗揚げへ。
そうして高校を卒業した柿ノ木は、一旦は就職が決まっていたが先輩の薦めがあり日本大学芸術学部演劇学科に進学。しかし、授業の内容が肌に合わず、一旦演劇の道から離れ、アメフト部で青春の汗を流した。
柿ノ木と演劇、二本の線が再び交わるのは、入学から数ヶ月後。友人に誘われ訪れた、今はなき江古田ストアハウスで、新しい仲間との出会いが待っていた。
演目は、つかこうへいの『熱海殺人事件』。上演していたのは、同じクラスの西田大輔ら。そう、後に超人気劇団へと成長するAND ENDLESSの主宰・西田大輔だ。柿ノ木と西田は、同じ学科を専攻する同級生。同世代の彼らの芝居を観て、柿ノ木は胸を打たれた。
「正直、入学してからずっと演劇はやってなかったけど、クラスに自分より上手い俳優なんていないと思っていました。でも、彼らの演技がすごく良くて。終演後、劇場のロビーで西田と話してたら誘われたんですよ、“一緒に芝居やらない?”って。それで、もう一度、演劇をやることにしたんです」
1996年、AND ENDLESS旗揚げ。柿ノ木は、創設メンバーのひとりとして、出演を重ねた。派手なダンスと殺陣を武器に、AND ENDLESSは人気を拡大。結成4年目の99年には東京芸術劇場にも進出し、動員1000名を突破するなど、破竹の勢いでステップを駆け上がっていった。
一方、そんなサクセスストーリーの裏側で、柿ノ木自身にも別なる変化が訪れていた。98年、大学の後輩に誘われ、劇団コーヒー牛乳に俳優として参加。1回きりの公演のはずが、その後も定期的に活動を継続することになり、以降、作家として戯曲を提供するようになったのだ。
「それが脚本を書くようになったきっかけです。と言っても、劇団コーヒー牛乳は劇団と名はついていますが、あくまでプロデュース団体。僕はずっとAND ENDLESSの一員という意識でした」
不運の怪我がもたらした転機。劇作家・演出家としての再出発。
だが、俳優・柿ノ木タケヲのキャリアに突如思いがけない分岐点が訪れる。発端は、98年、AND ENDLESS第6回公演『RED ~Returning Entire Destiny~』でのこと。楽日の前夜、芝居を終えた柿ノ木はいつものように仲間らと劇場を後にした。
「そしたら目の前に可愛いお姉ちゃんがいて。ナンパして電話番号を教えてもらったんですよ(笑)。嬉しくって飛び跳ねたら、着地した瞬間にボキッて。すぐ救急車で病院に運ばれ診てもらったら、足を骨折してました」
よりにもよって楽日の前夜だ。当然、翌日の千秋楽には出られない。病院のベッドで、柿ノ木は悔し泣きした。抜けた穴は、急遽設定を変更して何とか凌いだ。バラシを終えて見舞いに来た劇団員に、自分の抜けた本番の出来を尋ねると、返ってきたのは「すげえ良かったよ」という満面の笑顔。「アホ、悲しくなるわ」――そう言って、柿ノ木も軽口を叩いた。
重大なピンチに嘆くことも責めることもしない、いい仲間たちだ。この足が治ったら、また舞台に立てる。そう誰もが信じて疑わなかった、はずだった。
「それが思ったより重大な骨折で。1年間はずっと足を引きずらないと歩けない状態が続きました」
舞台俳優にとって、身体は商売道具。しかもAND ENDLESSのような立ち回りやダンスの多い団体なら尚更のことだ。
「しばらくは何とか僕の身体に合った役をつくってもらって出てはいたんですけどね。やっぱり限界はあるなって。それで、自分で退団を決めました」
まる4年、20代前半という若さと勢いのある時代を過ごした場所に、柿ノ木は自ら別れを告げた。以降、柿ノ木は劇団コーヒー牛乳の座付き作家・演出に専念。劇団コーヒー牛乳もプロデュース団体から正式に劇団化を果たした。さらに、2009年には主宰に就任。それを機に、劇団名も現在のゲキバカへ。東名阪のツアー公演も成功をおさめるなど、地域の垣根を超え、その名を多くの小劇場ファンへと知らしめるようになった。
僕の中では下ネタも感動モノも同じ。その根底にある男の美学。
柿ノ木タケヲは、不思議な人だ。たまに舞台上で役者として登場すれば、何とも言えないおかしみを全身から醸し出し、短い出番ながら一瞬で笑いをかっさらっていく。作家としても、小学生のようなギャグと下ネタの合わせ技を力づくで決めるような、いい意味でのバカバカしさが持ち味だ。だが、当の本人は少なくともこうした場ではそんなふざけた様子はまったく見せない。眼鏡の下に隠した小さな目は、クールで、理知的な印象すらある。
「自分ではあんまり意識はしてないんですけどね。僕の中では下ネタも感動モノも同じ感覚なんです」
そして、話は柿ノ木の男の美学に遡る。外部舞台で女性のみの団体を演出する機会も増えたが、本領はやはり男芝居。『男の60分』では、母の死に直面した兄弟を軸に、どんな遊びをするのにも全力だった彼らの小学生時代を描いた。柿ノ木の描く男は、迷いや弱さを抱えながらも、一生懸命に汗を流す姿がよく似合う。
「もしかしたらちょっとだけあるのかもしれないですね、父親への憧憬というものが」
そう認めて、柿ノ木は少し遠くを見るような目をした。
父親との別離。一回くらい僕の芝居を観てもらいたかった。
「親父とはいろんなことがあって、大学時代、学費も仕送りも全部止められちゃったんですよ。それで、僕は大学中退することになって、アパートも追い出されて、一時は公園暮らしをしていました」
以来、数年間、柿ノ木は勘当状態だった。父親とも顔を合わせたことは、それきり一度もなかった。
「でも25のとき、ふっと親父のことを思い出して、ある日、彼女に言ったんですよ、“一回会っておかなきゃいけない気がする。だって、親父は俺のことが大好きだったから”って。その話をした翌日のことです。親父が死んだと連絡をもらったのは」
それは、早すぎる別れだった。「虫の知らせっていうのはあるもんなんだって思いましたね」――柿ノ木は、そう短くこぼした。
「親父とは結局一度も酒を飲みに行ったことがないんですよね。僕の芝居を観てもらったこともない。だから正直、若い子が両親に応援されながら演劇を続けているのを見ると、ちょっと羨ましくなります」
男にとって、父と子の関係は一言では説明しきれない。超えられない背中のように思うこともあれば、同族嫌悪や、あるいは反面教師のような憎しみを抱くことだってある。ごく普通と呼ばれる父子関係であっても複雑なのだから、絶縁状態となった柿ノ木の場合、一層あらゆる感情がまだらに入り交じる。
「親父のことは尊敬はしていたけど、好きではなかった。だから今でも父子モノの映画とかに弱いんですよ。ほら、『クレヨンしんちゃん』の映画とか、ああいうのを見ると、すぐに泣いちゃう。父親は、僕の唯一の弱点かもしれない。『男の60分』にしても、母の死が出てきますが、あれは父親のことなんです」
いちばん近くて、いちばん遠い男の肖像。柿ノ木タケヲの描く男に、多くの人が胸を熱くさせられるのは、どこかで柿ノ木自身も捉えきれない男の理想をそこに委ねているからかもしれない。
「一回くらい僕の芝居を観てもらいたかったなとは思うんですけどね」
そう呟き、柿ノ木は父親の追憶に一区切りをつけた。
演劇界隈ではない人たちが“何か元気出たわ”と言ってくれる作品をつくりたい。
「どこの劇団もそうかもしれないけど、うちでしかできない芝居というのはあると思います。たぶん『ごんべい』や『0号』はやろうと思えばどこでもできる。でも、『NBL大作戦』はできない。ただ、お客さんとしては『ごんべい』とか『0号』みたいな感動大作の方が人気なんで、そっちにシフトしようかとは思ってるんですけど(笑)」
そう茶化しつつ、ゲキバカの強みを語る柿ノ木。ケレン味たっぷりのストーリーながら、誰が見ても楽しめる大衆性は決して忘れない。そんなド直球をこれからも全力でゲキバカは投げ続ける。
「どんなジャンルであっても変わらないのは、観に来てくれた方が明日も頑張ろうと思えるものをつくること。僕の友達って、演劇界隈の人より一般の企業で働いている人の方が多いんですね。そういう人が観て、“何か元気出たわ”って軽く言ってくれるのが、僕にとっては最上の感想。そういうものをやっていけたらと思っています」
思えば、演劇を始めた動機は、可愛い先輩が目当てだった。学校きっての問題児だったにもかかわらず、演劇だけは真面目に続けたのも「女の子にモテたから」と顔をニヤつかせる。そもそも柿ノ木タケヲという人間が、どこまでも男臭い男なのだろう。
これからもゲキバカでは、汗臭く、青臭く、泥臭い男たちが、舞台上で目いっぱい暴れ回ってくれるはずだ。今や現実では絶滅寸前のそんな男たちに会いたくて、観客は劇場へ足を運ぶのかもしれない。
取材・文・撮影:横川良明 画像提供:柿ノ木タケヲ
My ゲキオシ!
プロフィール

- 柿ノ木 タケヲ(かきのき・たけお)
1975年11月21日生まれ。愛知県出身。高校時代、演劇部に所属し全国大会にて文部大臣奨励賞受賞。日本大学芸術学部入学後、劇団AND ENDLESSに俳優として所属。 1998年より、劇団コーヒー牛乳(後にゲキバカと改名)の演出、脚本担当。ゲキバカ立ち上げに伴い主宰に就任。テレビ、ラジオドラマ脚本家としても活動。舞台ではももいろクローバーの演出歴はじめ、人気声優が多数出演の多次元プロジェクト『ノブナガ・ザ・フール』シリーズの舞台演出や、同シリーズに続く『ひと夏のアクエリオン』の脚本・演出を担当。時代劇から現代劇、小劇場から5000席以上の会場まで幅広く演出。エンターテイメント性の高い舞台づくりを特徴としている。

- ゲキバカ(げきばか)
1998年、日本大学芸術学部演劇学科の学生を中心に「劇団コーヒー牛乳」の名称で立ち上げ。2009年春に演劇博覧会「カラフル3」にて、全国の強豪を抑えて観客投票1位に。またその際に上演した作品が「CoRich舞台芸術まつり!2009春」にて準グランプリを獲得するなど、現代の演劇シーンの一翼を担う実力を備えた劇団に成長。同年、現在の「ゲキバカ」に改名する。わかりやすいのに奥深い、王道エンタメ芝居を追求。少しでも多くの人に演劇の魅力を伝えられる「本物」を目指し、精力的に活動中。
劇団の数だけ名前があるが、これだけストレートで気持ちの良い劇団名はそうないだろう。ゲキバカ――ただひたむきに、まっすぐに、王道エンタメを追求するその姿は、まさに“演劇バカ”の名にふさわしい。「CoRich舞台芸術アワード!2014」で入賞を果たした傑作『0号』から、実に過去4度の再演を成功におさめた代表作『ごんべい』まで、一途に生きる男の生き様は多くの演劇ファンから愛されている。
その中心に立つのが、主宰にして作・演出の柿ノ木タケヲだ。わかりやすいギャグやおふざけを随所に織り交ぜながら、最後はホロリと泣かせてくれる。観る者のツボを心得た脚本でファンを増やし続ける小劇場エンタメの快男児は、どんな人物なんだろうか。舞台上では決して語られることのないその素顔を紹介する。