2016.11.24
人の悪意や虚栄心こそが、エンターテイメント。善良なる会話劇の名手が炙り出す人間の暗部。【iaku 横山拓也】

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人生の暗部があまりない。演劇人としては異色の“幸福”な男・横山拓也。
しばしば演劇人は、社会不適格と括られることが多い。こと劇作家に至っては、それがますます顕著だ。生まれながらに負った自己や社会に対する怒りや無力感を、戯曲という方法で昇華させているのだろうという劇作家も、容易に連想できる。しかし、横山拓也からはそうした心の暗渠がまるで見当たらない。
「自分でも思うんですが、僕って人生の暗部があんまりないんです。これまで幸福に育ってきたんだなって、つくづく自覚しています」
そう恐縮そうに認めた。高校までは演劇とは無縁の人生だった。部活は、サッカー部。友人にも恵まれ、悩みという悩みもなく青春を謳歌した。卒業を前に、大阪芸術大学文芸学科を選んだのも、単に文を書くのが好きだったからだ。
「学級日誌に小説のようなものを連載したり。作文があると面白おかしく書いては周りに読んでもらったり。書くこと自体を楽しんでいたような記憶はあります。と言っても、別に何か自分の隠し持っている内面をそこに託すって考えはなくて。人に笑ってもらうのが好きだったという程度。芸大を選んだのも、何も作家やアーティストになりたかったわけではなく。単に勉強が好きではなかったので、芸大なら勉強せずにすむだろうっていう浅はかな期待で選んだだけなんです」
きっかけは惑星ピスタチオ。SFエンタメから、やがて十八番の会話劇へ。
ニュートラルで健全なハイスクールライフ。その掉尾に突然現れたのが、演劇だった。きっかけは、高校時代の友人・山田かつろうだ。同じく大阪芸大の舞台芸術学科に進学する予定だった山田から「観れば」と勧められて足を運んだ舞台。それが、惑星ピスタチオの『破壊ランナー』だった。
「劇場は、伊丹のAI HALL。日付けもはっきり覚えています。1995年の1月16日、ちょうど阪神淡路大震災の1日前です。すぐ目の前に、俳優さんがいて。誰だか知らない人たちばかりなのに、何だかすごい。今まで感じたことのない熱量に、とにかく圧倒されてしまいました」
現在の作風を思えば意外だが、かの西田シャトナーのつくり出す宇宙的エンターテイメントこそが、横山拓也の演劇人としての出発点だったのだ。大学進学後、山田に誘われるまま劇団旗揚げに参加。芸大の同級生を中心に、1995年、売込隊ビームを結成した。旗揚げ公演は、96年10月。横山は作・演出として初めての舞台に臨んだ。
「どんな話だったか、ですか。お恥ずかしいですね…。あらすじを語るのも抵抗があります(笑)。ざっくり言うと、月の裏側で核燃料を集めながら爆弾をつくっている悪の組織がいて、それを地球防衛軍のような人たちが戦って倒していくというようなお話です」
そう解説しながら、横山は恥ずかしそうに頬を赤らめた。現在、iakuで追求している濃密な会話劇とは対極の位置にあるような、若さと勢いありきのSFエンタメだが、学生劇団らしい作品は好意的に受け入れられ、以降、売込隊ビームは活発に公演を重ねていった。
「ただ、惑星ピスタチオに憧れて書きはじめたものの、どうも自分にそういう世界観は背負いきれないなということが、やっていくうちにわかってきて。大学の授業では、いわゆる現代的なものを書いていたので、もっと背伸びせずにやれるものにしようと、3回目以降から会話劇にシフトしていきました」
気鋭の学生劇団として頭角を現す。楽しくて仕方なかった劇団生活。
軽い興味で始めた演劇だったが、気づけば横山の大学生活は演劇一色に染め上げられていた。大学4年時には、『トバスアタマ』で第1回大阪演劇祭CAMPUS CUP’99大賞を受賞。数ある学生劇団の中でも最も将来を嘱望される劇団として、小劇場界でも名が広まった。大学卒業後も横山は編集者の職に就きながら劇団活動を継続。辞めるという選択肢はまったく考えなかった。
「演劇にのめりこんでいたのかと言われたら、わからないですね。単に劇団員と一緒にいるのが楽しくて、その時間にのめりこんでいただけなのかもしれない。楽しかったですよ、いつまでも学生のノリで、何か面白い企画を立ててはワアワアとやって。みんなで車に乗って北海道まで初日の出を見に行ったこともありました。正直、劇団のビジョンとか、作家としての方向性とか、そういうものはまったく考えてはいなかった。ただ単にこの学生ノリがずっと続けばいいなあと思っていました」
青春だったんですね、と聞くと、横山は少し照れ臭そうに笑って、その問いを受け入れた。しかし、青春には終わりの季節がやってくる。売込隊ビームとして安定的な人気を得る一方で、徐々に横山は劇作家としての惑いと向きあいはじめることとなった。
自分の書きたいものは本当に求められているのだろうか。劇作家の孤独な惑い。
「まずひとつ劇作について意識が変わるきっかけになったのが、土田英生さん率いるMONOとの出会いです。99年の『-初恋』の再演を観て、会話劇なんだけど心の中が引っかき回れるような感覚があって、自分もこういうものがつくりたいと感銘を受けた。僕は自分に暗部がないくせに、人の暗いところを描くのが好きなんですよ。しかもそれを単にシリアスに描くのではなく、エンターテイメントとして描きたかった。会話は軽妙なんだけど、描かれているものはビターというか。ただそれが劇団のスタイルに合っているのかということは、ずっと悩んでいました」
横山は「今思うと、僕の被害妄想だったのかもしれないけど」と前置きした上で、当時の心境をこう述べた。
「うちの劇団員はみんなビジュアルも良くて、エンターテイメント系の劇団からよく客演として声をかけられていました。彼らはみんな、派手な照明を浴びて、大音量の音楽がかかって、その中心でカッコよく台詞を言うっていうエンターテイメントの気持ち良さにハマッていたし、座付き作家である僕にもそれを求めているような気がした。だけど僕の書くものは地味だし、誰も本当はこんなの望んでないんじゃないかって、勝手に思いこんじゃっていたんですよ」
劇作家は、孤独だ。どんなに劇団員という仲間に囲まれていても、その断絶は埋めきれないものがあるのかもしれない。自分が書きたいもの、劇団員がやりたいもの、そしてお客様の求めるもの。三者の間をまるでピンボールのように横山は行ったり来たりした。ある公演ではライトなエンターテイメントを、その次の公演では重厚な純文学を。横山の迷走をそのまま表すかのように、劇団のカラーは二転三転した。
劇作家人生を変えた『エダニク』。緻密な取材が生んだ重層的な戯曲構造。
そんな試行錯誤から脱するきっかけとなったのが、横山の代表作『エダニク』だ。『エダニク』とは、屠場で働く職人と取引先の畜産農家の御曹司が、ある事件をきっかけに、屠場の狭い休憩室でそれぞれの立場を賭して対立し合う上質な三人芝居だ。初演は09年。真夏の會という演劇ユニットから依頼を受け、横山が書き下ろした。
この傑作が、劇作家・横山拓也にもたらしたものは大きく分けてふたつある。ひとつは徹底した取材力だ。
「正直、それまで特に屠畜というテーマに深い関心があったわけではないんです。ただ、何も知らずにぼんやり書いてはいけないんだろうっていう直感だけはあって。そこで、知り合いを頼って、実際に屠場で働いている人に話を聞かせてもらいました」
そうして出来上がった初稿を読むと、どうにも職人側の視点に偏りすぎているという指摘が挙がった。均衡のとれた議論を生むために、今度は畜産農家の人間にも接点をとり、戯曲の精度を高めた。
「いろんな視点を取り入れることで、より層の厚い議論を描けた手応えはありました。そもそも何か取材をして、それをもとに書くということ自体、『エダニク』が初めてのこと。それまではずっと自分の頭の中だけで書いていましたから」
自分で書いたのに衝撃を受けた。演出家・上田一軒への絶大なる信頼。
そしてもうひとつの収穫が、演出家・上田一軒との出会いだ。現在のiakuにつながる名コンビがここで初めて顔を合わせた。
「一軒さんとの出会いは大きかったですね。僕の書く台詞って軽妙なやりとりが多いから、いくらでも笑わせる構成にはできるんです。実はエダニクも最初はそういうふうにつくっていたらしくて。でも本番の1週間前くらいに、一軒さんが“それは違うんだ”ってことに気づいたそうで。そこから出演者に“今までの稽古は一切忘れてください”って言って、いきなりワークショップを始めたらしいんです」
上田が指摘した『エダニク』の本質。それは、これはアイデンティティに関する芝居であるということだった。3人の登場人物がそれぞれどんなアイデンティティを抱えていて、何によって齟齬が生まれるのか。安易な笑いに走るのではなく、彼らがアイデンティティを守るために必死にもがくさまを見せることで、誰もが惹きこまれる一級のエンターテイメントに仕立てたい。そう上田は役者たちに伝達した。
「初日のことは今でもよく覚えています。僕は客席にいたんですけど、劇場全体の空気がどんどん凝縮していくというか、観客全員が前のめりになっていくのがわかるんです。自分で書いたもののはずなのに、なぜか僕まで衝撃を受けた。自分にとっても初めての観劇体験でした」
横山はこの『エダニク』で第15回劇作家協会新人戯曲賞を受賞。劇作家として一気に花開いた。一方、それは同時に横山を新しい道へと導くきっかけにもなった。
せめて言い訳しないですむものを書きたい。退団、そしてiaku旗揚げ。
「劇団をやっていて苦しかったのは、上演した後に人から“本当にあんなことやりたかったの?”って聞かれるたびに、“劇団からの要請で”とか“お客さんが望むから”とか言い訳ばっかりしていたことです。好きでやってるくせに、こんなに不幸なことはないな、と。劇団員はじめ、劇作家の先輩たちも“好きに書いたらいい”って言ってくれてたんですけどね。自分で勝手に被害妄想をこじらせて、ややこしいことをしていたんです」
自らの中で膨れ上がる内部分裂。そのリミッターを振り切らせたのが、11年に起きた東日本大震災だった。テレビ画面越しに広がる凄絶な光景が、横山を打ちのめした。この現実の前で、芝居をしたところでどうにもならないのではないか。劇団でやっている作品が、目の前のリアルに呼応していないという乖離感に、横山の感受性は激しく揺さぶられた。
「これからどうやって演劇を続けていけばいいのか。悩む中で確かだったものは、せめて自分が言い訳しないですむものをしないと一生後悔するんじゃないかという想いでした。それで劇団を休んで(後に退団)、個人ユニットを立ち上げて、自分が本当にやりたいと思う強度のある作品を持って、いろんな地域で上演してくことを始めたんです」
僕は決して自分の作品に自覚的な作家ではない。傑作を生み続ける上田との共同作業。
それが、横山拓也による演劇ユニット・iakuだ。メンバーは、横山のみ。しかし、一部の作品を除き、ほとんどの公演を『エダニク』で出会った上田一軒と共にしている。
「今日取材を受ける上で何をお話ししようか考えていたんですけど、とにかく僕は軽薄で、自分の作品に対して自覚的ではない作家だってことを伝えなきゃなと思って来ました。さっき『エダニク』のアイデンティティのことをお話ししましたけど、あれも最初からそんなことを自覚して書いたわけじゃないんです。もちろん何も考えないわけじゃないですけど、いつも稽古場で一軒さんが気づかせてくれるんですよ、この戯曲に何が描かれているのかを。戯曲の持っているいろんな可能性について話してくれて、それに触発されて僕がまた新たにリライトをする。そうやって少しずつ戯曲が分厚くなっていくというのが、今のiakuのやり方なんです」
作者さえ意識していない戯曲の核を掘り当てる。それは劇作家と演出家の間で、絶対的な信頼がなければなし得ない作業だ。
「他の演出家さんだったら果たしてどうなるかわからないですけど、一軒さんに限って言えばリライトもまったく不本意ではないです。深夜に2時間くらい電話で戯曲について話したり。恋人かっていう感じですけど(笑)。でも、一軒さんには僕に見えていないものが見えているんです」
暗部がないから描けるもの。緊迫の会話劇を支える作家の “悪趣味”な本能。
横山の作品に登場するのは、特別な英雄や立派な人格者ではない。乗り合わせた電車の中に、喫茶店の隣の席に、あるいはさほど親しくもないかつての同級生のように。自分の記憶の断片のどこかにいそうな市井の人々が、リアリティとほんの小さな悪意をもって描かれる。
「僕自身、“人間味にあふれる”って言葉が結構好きで。そういうのがにじむ瞬間って、人が何か誤魔化してたり、ちょっと見栄張ったり、嘘ついているところだと思うんです。そこを会話を通じて描いていきたいという気持ちはあります」
そう話す瞬間、人の良さそうな横山の笑顔に、ほんの少し意地の悪さが見え隠れした。
「会話をすればするほど、どんどんボロが出たり、自分の正当性が守れなくなったり、正しいと思っていることが通らなくなっていくさまって、すごく人間味に溢れていてユーモラス。僕がやりたいことは、まさにそれなんです。そのズレを起こすために、毎回いろんな題材を持ってきているという感じですね」
それは、人としては少し悪趣味な、しかし作家としては本能と呼ぶべき愉楽だろう。
「人の悪意を書くのは好きですね。人の虚栄心やみっともない姿こそがエンターテイメントだと思っているので。それを敢えて見世物にしているとう意味では、僕も意地が悪いのかもしれません(笑)」
そう言って、横山はまた人の良い笑みを浮かべた。iakuでは、「他人の議論・口論・口喧嘩を覗き見するような会話劇」を標榜している。他人の後ろ暗いところ、醜いところを炙り出そうとするのは、横山自身が認める通り、本人に暗部がないからなのかもしれない。
「自分自身をまったく切り取ってないわけでもないけど、覗き見るという感覚で距離をとって書いているのは確かです。最近は、戯曲は覗き見している感覚で、演出は観客を舞台上に上げる感覚で、というのがバランスとしていいんじゃないかと考えているところ。戯曲の段階では遠いんだけど、立体化すると登場人物と観客が同じ立場に立って議論するということができるようになってきた気がします」
消費されがちな演劇だからこそ、繰り返しの上演が望まれる作品をつくりたい。
恐らく横山自身は作家として器用な方なのだと思う。だからこそ、劇団時代は周囲を気にしすぎて疲弊してしまった。背負っていた積み荷を一旦すべて降ろした今、横山はただシンプルに自分の書きたいものに全霊を傾けている。
「これからの目標と聞かれると、本当に単純なんですけど、いい作品をたくさんつくって、たくさんの人に観てもらうってこと以外に答えようがないなと、最近は特にそう思います。いろんな人にやりたいと言ってもらえるような強度のある作品をつくって、それを繰り返しいろんな地域で上演していきたい。演劇って、消費されていきがちだから。みんなで力を注いでつくった作品がこんなにも残らず簡単に消えていくっていうのはやっぱりもったいない。だから、繰り返しの上演が望まれる作品を誠実につくっていきたいと思います」
劇作家・横山拓也。間もなく40歳。まさにこれからが劇作家として脂の乗ってくる時期だ。不惑を迎える会話劇の名手は、惑いっぱなしの季節を経て、ただ惑わず強度のある作品をつくり続ける。
取材・文・撮影:横川良明 画像提供:横山拓也
My ゲキオシ!

匿名劇壇(とくめいげきだん)
大阪を中心に活動する25歳〜26歳を中心とした若い劇団。主宰で作演出の福谷圭祐くんの非凡な演劇的センスに何度も嫉妬した。きちんとダイアローグが書ける作家でもあり、20代が吐き出すセリフの鋭さ、なまくらさ、そのやりとりが生々しい。作品の印象はポップ、スタイリッシュ。ジャンルはコメディ。2016年から東京公演も行なっている。
劇団きらら(げきだんきらら)
熊本で30年活動している劇団…ということを、今ネットで調べて知って驚いた。僕はここ数年、4作しか観られていないけれど、主宰で作演出の池田美樹さんの瑞々しい感性、常に刺激を求める柔軟性が作品にきちんとはまる。そして、僕ら中年世代にビビッドに響く共感性。僕が遠方はるばる熊本へ通って観劇するということがオススメの説得力になれば。
MONO(もの)
僕の今の演劇活動の原点とも言えるMONO主宰、作演出の土田英生さん。普遍性のある戯曲を作り続ける稀有な存在で、僕の目指すところにいる劇作家。ものすごい早さで時代が流れていく昨今、20年前の戯曲が古びない。もちろん現在、毎年生み出される新作にも強度がある。はじめて演劇を観る人も楽しめて、目の肥えた玄人も唸るMONO。見逃せない。
プロフィール

- 横山 拓也(よこやま・たくや)
1977年1月21日生まれ。大阪府出身。劇作家、演出家、iaku代表。鋭い観察眼と綿密な取材を元に、人間や題材を多面的に捉える作劇を心がけている。他人の口論をエンタテインメントに仕上げるセリフ劇や、ある社会問題を架空の土地の文化や因習に置き換えて人間ドラマとして立ち上げる作品を発表している。「消耗しにくい演劇作品」を標榜し、全国各地で再演ツアーを精力的に実施。旗揚げ作品『人の気も知らないで』は4年連続で上演を重ね、10都市50ステージに及ぶ公演を行っている(2015年現在)。また、戯曲講座の講師としての実績も多数あり、関西ではもちろん、三重、金沢、福岡、札幌などでも戯曲講座を開催してきた。日本劇作家協会会員(関西支部運営委員)。クオークの会所属。伊丹想流私塾5期生。

- iaku(いあく)
劇作家・横山拓也による演劇ユニット。横山のオリジナル作品を日本各地で発表していくこと、また各地域の演劇(作品および情報等)を関西に呼び込む橋渡し役になることを指針に、2012年から本格的に活動を開始。
作風は、アンタッチャブルな題材を小気味良い関西弁口語のセリフで描き、他人の議論・口論・口喧嘩を覗き見するような会話劇で、ストレートプレイの形態をとる。小さな座組でカフェやギャラリーなど場所を選ばずに全国を巡るミニマルなツアーと、関西屈指のスタッフ陣営を敷いて公共ホールなどを中心に組む大きなツアーを交互に実施。ほとんどの作品で上田一軒氏を演出に迎え、関西の優れた俳優を作品ごとに招くスタイルで公演を行う。繰り返しの上演が望まれる作品づくり、また、大人の鑑賞に耐え得るエンタテインメントとしての作品づくりを意識して活動中。
生の演劇の醍醐味と聞かれたら、真っ先に「会話」だと答えたい。限定されたシチュエーションで、様々な思惑を持った人たちが、奇妙なズレを含みながら、互いの縄張りを守り合うように言葉と言葉を重ねていく。絡み合った糸をほどくつもりの「会話」が、なぜかさらに状況をもつれさせ、事態はややこしく、そして人々は追いつめられていく。そのスリル感。息遣いさえ伝わるようなリアリティ。特にそれが小劇場のような密度の濃い空間ならもうたまらない。
そんな会話劇を今最も高いレベルで完成させられる劇作家のひとりが、iakuの横山拓也だろう。郷土の関西弁で綴られる小気味の良い会話劇はただただおかしく、心地良く笑わせられているうちに、ふとただごとではない場に踏みこまされていることに気づき、絶句する。そうやって横山拓也はいくつもの傑作を、演劇界に送り出してきた。
だが、当の本人はおおよそそうした人間の悪意や欺瞞とは無縁の良識人だ。この温厚篤実な好人物のどこから、あの呼吸もためらう圧巻の会話劇が生まれているのだろうか。