2016.11.11

いいとも青年隊から小劇場へ。常に面白いことを仕掛け続ける策士が明かす戦略とセンス。【時速246億 川本成】

いいとも青年隊から小劇場へ。常に面白いことを仕掛け続ける策士が明かす戦略とセンス。【時速246億 川本成】
  • 思いっきり笑える度
  • ハズレがない度
  • 一見さん大歓迎度
  • 友達に教えたくなる度
  • グッズも可愛い度
  • 毎回新しい世界観や感覚が味わえる度

『笑っていいとも!』9代目いいとも青年隊としてブレイクし、『王様のブランチ』にレギュラー出演するなどお茶の間で広く親しまれたあさりど。そのひとり、川本成は、今、小劇場界で注目の存在へと進化している。自ら時速246億というユニットを立ち上げ、年1~2本のペースで公演を重ねる傍ら、ブルドッキングヘッドロック、月刊「根本宗子」など気鋭の劇団に立て続けに出演。その飄々とした佇まいと、親しみやすさと偏屈さが同居した演技で、多くの演出家・観客から愛されている。
お笑い芸人と、俳優。ふたつの顔を持ち合わせているように見える彼は、果たして何者なのだろうか。

お笑いをやるつもりはなかった。巨匠・萩本欽一から命じられた茨の道。

img_6964「自分のカテゴリーを聞かれるとね、自分でもよくわからないんですよ。芸人っていうのも違う気がするし、役者かと言われると役者と言い張りたくないところがある。まあ、何でも良いんですけどね。強いて言うならコメディアン志望かな。うん、コメディアンだなって思います」

そう舞台に立っているときと変わらないような飄々さで、川本成は話す。

あさりど結成は1994年。当時まだ20歳。気づけばかれこれ20年以上、川本は芸能界に身を置いていることになる。その長い芸歴を振り返って辿り着いたのが、上の言葉だ。

コメディアン志望。あくまで、「志望」とつくところが川本成らしい。しかし、決してもともとお笑いを標榜していたわけではない。むしろお笑いにはまったく興味はなかったと言う。川本成のキャリアは、本人の意図とは反するところから幕を開ける。

「小さい頃から芸能人にはなりかったんですよ。と言うのも、うちの親がとにかく子どもをアイドルにさせたかったみたいで。ずっと西城秀樹になれって言って育てられた。もう刷り込みですね。だから物心ついた頃には、自分はテレビの世界に行くんだって確固たるものがありました」

夢の実現に向けて最初に動き出したのは、中学に入ってから。まずは演技を学ぼうと有名児童劇団に応募をしようとした。が、入所には50万円もの大金が必要だったため、あえなく断念。次に目をつけたのが、欽ちゃん劇団。そう、お笑い界の重鎮・萩本欽一が率いる劇団に、川本は第1期生として入団を果たしたのだ。しかし、欽ちゃん劇団を志望したのも、特に萩本欽一に対する憧れや興味があったからではなかったと言う。

「誰もが知っている安心感があったというか、ソニーやトヨタと同じ感覚でした。ここなら詐欺ではないだろう、と(笑)。オーディションに合格した日に、研究生みんなが欽ちゃんの前にズラッと並んで、“俺は役者がしたいです”とか発表していくんですよ。で、最後に欽ちゃんがこう言うんです、“うん、わかった。じゃあ、君たち全員お笑いやってもらうから”って。その瞬間、“詐欺だ!”って思いました(笑)」

誰もが羨む怪物番組への出演。しかし膨らむ葛藤とフラストレーション。

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憧れの役者業のはずが、思いもしなかったお笑いの道へ。欽ちゃん劇団への入団は1991年。まだ17歳の高校生だった。周りは年上の社会人ばかり。同い年、同じ高校生という接点から自然とある男とコンビを組むようになった。それが、相方・堀口文宏だ。かくして、20年以上にも及ぶあさりどの歴史の最初の一歩が刻まれた。

「全然興味のなかったお笑いですけど、凝り性な性格もあって、やってみるとあれこれ頭を使いはじめるわけですよ。特にこだわったのが、笑いのつくり方。それも、いかに人とかぶらない方法で笑いがとれるかということは戦略的に考えていましたね。普通、若手なんて熱量が命。でも僕は性格が悪いから、姑息なやり方ばかり計算するんです。当然、先輩たちからは嫌われますよね。僕だって、当時の劇団員で自分みたいなのがいたら友達になりたくないですもん(笑)」

だが、そんな客観的視点が、芸人としての立ち位置をつくる上では奏功した。あさりどはデビュー1年目で『笑っていいとも!』のレギュラーの座を獲得。一躍全国区に躍り出た。その後もバラエティを中心に順調に名前を売っていったが、当の本人の胸中は決して明るいものではなかった。

「その間もずっと本音ではお芝居がやりたいって思ってました。仕事のたびに、何で砂に埋められなきゃいけねえんだとか、何でミミズ食わされなきゃいけねえんだとか、そんなことを考えては鬱屈して。自分のやりたいことばっかり先行して、あれが嫌だこれが嫌だってグチグチ言ってました。今思えば何でもやっておけば良かったと思うんですけど。あの頃はまだ何もわかってなかったんですよ」

『テニプリ』出演から開けた新たな道。そして、演劇との衝撃の出会い。

img_6979理想と現実の間でフラストレーションにもがく日々。しかし、そんなジレンマの中から一筋の兆しが見えた。アニメ『テニスの王子様』のオーディション。まったくの未知だった声優業だが、その可能性が認められ合格。2001年、川本成、27歳。記念すべき初のピンの仕事だった。

「そこで共演の喜安(浩平)くんと知り合いになって。彼が出ている舞台を観に行くことになったんですよ。それが、ナイロン100℃。演目は、『東京のSF』。面白かったですよ。実は、芝居がしたいって言いながら、それまで演劇を観たことが全然なくて。観た瞬間、僕の憧れてたものはここだって思いました」

センスのある笑いに、見たことのないような世界観。川本は、瞬く間に虜になった。

「結局、僕は人から“憧れられたかった”んですよ。笑いをとるにしたって、オシャレだねって言われたかった。あのとき観たナイロン100℃は僕の憧れそのもの。“俺も出たい!”って、観終わった瞬間に思いました」

役者への最短ルート。それが、時速246結成だった。

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とは言え、その時点での川本成はあくまでまだ“お笑いの人”。演劇の経験もなければ人脈もない。何か糸口を見つけなければ。そのとき、持ち前の“ずるさ”がまた顔を出した。

「普通なら演劇の学校に通って、ちゃんと演技を学ばなきゃいけなんだろうけど、そんなことしてたら芽が出るまでに10年はかかるな、と。いちばん早いのは、とにかく自分が演技をしているところを誰かに見てもらうこと。だったら自分で立ち上げるのが早いんじゃないかと、そう思ったわけです」

だが、川本はあくまで役者志望。自分で団体を立ち上げるなら作・演出やその他たくさんの人たちの力が必要だ。そこで、川本は敬愛するクリエイターたちに次々と声をかけた。そうして生まれたのが、クリエイティブユニット・時速246(当時。2009年に時速246億に改名)だった。

第1回公演『FUNNY BUNNY』、続く第2回公演『燃え尽きる寸前の光』までは、俳優の平沼紀久、映画監督の飯塚健らと活動。大盛況をおさめた。しかし、この2公演で事実上、時速246は解体状態に。メンバーと離れ、ひとりになった川本は、ユニット活動を終了するかどうか決断に迫られた。

「僕の中の負けず嫌いが出たんでしょうね。これで終わっちゃったら、そこらへんによくあるパターンだなって。そんなことに負けてたまるかと思った。で、もう一回やってみようと、僕が今、一緒にやりたいと思う人を全部集めたオムニバス公演をやったんです。それが、第3回公演の『ささやかなこの人生』。この公演が僕の転機になりました」

嫌いだったはずの笑いが、いつの間にか自分のルーツになっていた。

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――僕の歌を超えましたね。

昭和を代表するシンガーソングライターから贈られた最大級の賛辞だった。

「この頃からですかね、あんなに嫌だったはずの笑いが自分の中でとても大きなものになっていたのは。この『ささやかなこの人生』をやったおかげで、自分の進みたい方向性にやっと近づけたような気がしました。ああ、結局、僕はコメディアンになりたいんだなって」

いろんな道を曲がりくねったその先に、辿り着いたのはスタート地点。それもまた、ささやかな人生のおかしみかもしれない。

以降、時速246億は、毎回豪華な作家陣を招き、ショートストーリー形式のオムニバス公演や、冴えない大人たちの青春群像劇、さらには女優・水野美紀率いるプロペラ犬とのコラボ公演など、公演ごとに作風も趣向も変化させながら、一貫してシュールな笑いのある世界で観客を魅了してきた。

「お笑いでも演劇でもそうですけど、本当に人の心が動くのって、やっぱり小手先のネタとかじゃないんですよね。演者の生き様そのものが感じられるような、そういうものに人は感動する。ピエロなんてまさにそう。並々ならぬ努力をしているけど、その努力は決して人には見せない。バカバカしくそれでいて真剣に、一生懸命汗かいてやること。結局それに尽きるんだなと」

理想のコメディアンは、欽ちゃん。だけど、僕は川本成にならなきゃいけない。

img_7007そう見据える理想のコメディアン像の先にあるのは、やっぱりあの人、萩本欽一だ。

「最近、特に欽ちゃんが昔言ってた言葉の意味が少しずつわかるようになってきましたね。何も教えてくれない人だから、言われた当時は全然わからないことだらけだったんですけど。この5年くらいかな。当時欽ちゃんに言われた言葉が、次々といろんな局面で『あれ?』と浮かんでくるようになりました」

心の中で「詐欺だ!」と叫んだお笑いからのスタートにも、今では感謝の一念だ。

「最初に僕らにお笑いをやれと言った理由も今となってはよくわかる。嫌いだったけど、結局、完全にやってて良かったと思いますもん。お笑いをやってなかったら、僕はもっとつまらない役者になってたと思う」

巨大なお笑いピラミッドの下位で卑屈になっていたあの頃にはわからなかった。自分はただ人のせいにしていただけなのだ、と。最上層に君臨する一部の売れっ子芸人たちを仰ぎ見て、嫉妬と他責を繰り返していたが、何のことはない、役者の世界に身を移してもピラミッドの構造は健在だ。売れている人たちは、ほんのひと握り。上に行くためには、自分が死ぬ気で努力するしかない。そう腹を割ることができたのも、お笑いの世界で鬱々としていた時間があったからこそだ。

「欽ちゃんのようになりたいし、欽ちゃんのようになっちゃいけない。その想いが、いつも僕の心の中で双璧をなしています。真似をしたらその時点で弟子は師匠を超えられないから。言葉にするなら、イズムは継承しなきゃいけないけど、スタイルは真似ちゃいけないっていうことかな」

他の真似ではない、自分だけのスタイル。川本成は、どんなスタイルを今、提示しようとしているのだろうか。

面白いものが見たければ時速246億に行けばいい。絶対的ブランドの確立へ舵を切る。

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「僕のスタイルはたとえばBEAMSみたいなもの。あそこに行けば必ずオシャレなものが置いてるし、BEAMSで全部揃えたら間違いはないでしょ。プロデュース力もあるし、いつもセンスのあるデザイナーや職人さんと上手にコラボレーションしている。ああいうふうに見てもらうのが、今の僕の目指すところです」

川本成の周りにはセンスが良くて面白い人たちがいつも集まって何やら楽しげなことをしている。そんな唯一無二のブランドを、川本成は今、確立しようとしている。

「たとえば朝ドラでも大河ドラマにすら、小劇場の役者さんが活躍できる時代。そしてそこには横のつながりというのも大きいなあと。その“面白い人たち相関図”みたいなやつにちゃんと顔を出せているか。参加できているか。そのためにはちゃんとアンテナを張ってなきゃいけないし、何より周りからあの人はセンスあるねって一目を置かれていなくちゃいけない」

面白い人と面白い状況で面白いことがしたい。そう川本は口にした。時速246億は、その発信拠点なのだ。根っからの芸能人志望だった幼少の頃と変わらない。川本成は、多くの人から憧れられる場所に立つことが最大のモチベーションなのだ。

「時速246億として意識しているのは、いつもポップであること。マニアになっちゃダメなんです。若い学生さんとかが見てシャレてるねって思ってもらえるものでありたいと思っています。そういう既存のものとは全然別の立ち位置をこれからもきちんと狙っていきたいですね」

言葉にすればしたたかだが、当の本人は相変わらずそんな策略めいたことはまるで感じさせず、飄々としている。このクセモノ加減が、川本成の魅力かもしれない。お祭り男にして、策士。はたして次はどんなアイデアで、観客を楽しませてくれるのだろうか。

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取材・文・撮影:横川良明  画像(あさりど宣材写真・フライヤー)提供:時速246億

My ゲキオシ!

月刊「根本宗子」

もうセンスの塊ですよね。いやあ、攻め攻めだなと思うところもあるし、それでいて凄く真っ当で。作り方も稽古も、なんだか好きです。乱暴さと丁寧さ、みたいに対局のバランスと遊び心だよなあ。なにせ凄いってことですね。

ブルドッキングヘッドロック

盟友・喜安浩平くんが主宰を務める劇団です。喜安くんにいつも言うんですけれど、もうブルはね、3時間でも4時間でもずっと見ていられるような気分になります。そこに登場する人間自身が、なんとも愛くるしくて。なんかトランス状態のようになるんですよね。やっぱり喜安くんの、人間の描き方が好きなんです。

開幕ペナントレース

言葉では言い表せません。演劇なのかといえば演劇な気もするし、全くそうでもない気もします。ただ、相当に面白いです。そしてもの凄い攻撃性を持っています。ガツンとやられます。ぜひ体感してほしいです。

プロフィール

川本 成(かわもと・なる)

1974年7月13日生まれ。鳥取県出身。91年、萩本欽一が主宰を務める欽ちゃん劇団に1期研究生として入団。94年、“あさりど”としてコンビを組む。『笑っていいとも!』『王様のブランチ』といった人気番組で活躍する一方、アニメ『テニスの王子様』の河村隆役をきっかけに声優としても活動するように。07年、時速246(現:時速246億)を結成。近年の主な舞台出演作に月刊「根本宗子」『忍者、女子高生(仮)』、WBB『リバースヒストリカ』などがある。

時速246億(じそく246おく)

2007年、川本成と俳優の平沼紀久、映画監督の飯塚健が中心となり結成。09年以降は、川本成の個人ユニットとして、小林顕作(宇宙レコード・コンドルズ)、喜安浩平(ナイロン100℃・ブルドッキングヘッドロック)、御笠ノ忠次、川尻恵太(SUGARBOY)ら多彩なクリエイターと共に、毎回、役者・声優など様々なジャンルで活躍するメンバーを川本自らチョイスし、舞台を上演している。