2016.10.18

100年続く“スタンダード”をつくりたい。汚れなき魂が紡ぐ永久不変の夢物語。【おぼんろ 末原拓馬】

100年続く“スタンダード”をつくりたい。汚れなき魂が紡ぐ永久不変の夢物語。【おぼんろ 末原拓馬】
  • 足を踏み入れた瞬間からアトラクション度
  • 詩的な言葉と言葉に出来ない空間の美しさに圧倒される度
  • 日常を忘れて純粋な気持ちになれる度
  • 演劇を観ない友人を連れて行きたくなる度
  • 5人だけの出演者だとは信じられない度
  • お祭りの日のような賑やかさと特別な時間に感じる度

一歩劇場の中に足を踏みこめば、そこは幻想の異空間。段ボールに流木などガラクタばかりでつくられた世にも美しい秘密基地のようなその場所で、奇妙な道化師のような語り部たちが、笑顔で手を振り、参加者の到着を歓迎する。そうやっておぼんろは、劇場や廃工場など様々な場所で、参加者と共に、その瞬間にしか生まれない奇跡のような物語をいくつも紡ぎ出してきた。

動員数は公演ごとに着々と上昇。主宰の末原拓馬は今や小劇場のみならず、人気の2.5次元系舞台にも足場を広げ、インディーズとメジャーの間を自由に行き来している。だが、彼の目指す到達点は、ここではない。夢は、もっと遥か先にある。末原拓馬、31歳。夢の途上にいるひとりの青年は、今、何を想っているだろうか。

 

年上も、年下も、道端の小石も“友達”。愛と自由の男・末原拓馬。

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ゆるくウェーブのかかった髪と、細い手足。中性的というよりもむしろ、俗世にまみれることを知らない不可侵的な空気は、都会の喧騒の中にいても俄然異彩を放っている。

おぼんろ主宰・末原拓馬。彼の描く物語は、実に独創的だ。登場人物は、犬や鶏といった人間以外のキャラクターが中心。まるで絵本の中に迷いこんだような、純粋で、残酷で、胸をきゅっと締めつける世界が観る者の前に広がっていく。

だが、そんなアーティスティックな印象とは裏腹に、素顔の末原拓馬は実にポップだ。取材中も、ほとんど敬語を使わない。とあるビストロのカウンターで肩を並べた細身の青年は、久しぶりに会った友人と近況を報告するような気安さで、いろんな質問に答えてくれた。

「昔からそう。人に対してあんまり“友達じゃない”っていう感覚を持てなくて。不平等じゃん、年下と年上で接し方変えるのって。よく子どもとお芝居をするんだけど、その子たちにも拓馬って呼ばれてる。周りの大人はね、何とか拓馬先生って呼ばせようとするんだけど、俺が一切そうさせないから。100歳違うなら尊敬しますよ。でもたかが10年20年じゃ変わらない。垣根がない方がリスペクトだと思う」

ここだけ切り取れば、彼のことを無作法で陽気な今時の若者と思いこんでしまうかもしれない。だが、決してそうではない。彼はその無防備なまでの屈託のなさと同時に、周囲が心配になるほどの繊細さで、この時代を生きている。

「苦手なのは物を捨てること。何かね、物にもすぐ人格を見ちゃうの。拾った小石も葉っぱも輪ゴムもみんな友達になっちゃうんだよね。だから絶対捨てられない。おかげでうちはみんなからゴミ屋敷って呼ばれてるんだけど」

そう自虐した後、ほんの少しその表情に翳りが見えた。

「まあ生きづらいわけですよ、そういうのは。愛するものが多いということは、傷つく回数が多いということだから。ありとあらゆるものが自分を傷つける武器になるの」

繊細すぎた少年時代。多感な10代を、音楽とバスケと共に過ごした。

obonro5振り返れば、小さい頃から感情の浮き沈みが激しい子どもだった。躁鬱のスイッチが激しく、さっきまでハイテンションで喋っていたと思ったら、急に塞ぎこんでしまう。複雑な感情の振り幅をコントロールできず、少年・末原拓馬はいつも自分自身を持て余していた。そんな多感なメンタリティに強い影響を与えたのが、音楽だ。

「『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』っていう映画を見て、あそこに出てくるヒッピー文化というか、スピリチュアルな意味でのロックにすごく共感を受けた時期があって。ちょうど小学校高学年くらいの頃かな。ボブ・ディランとか、ジョン・レノンとか、60~70年代の洋楽を年中聴いて過ごしてた。今もあの頃の音楽は自分の中ですごく大きなものになっていると思う」

もともと両親ともにミュージシャン。5歳上の姉は周囲でも評判のピアニストだった。彼自身も幼少の頃からピアノの教育を受けてきた。中高とバスケットボールに全力を注ぐ一方、文章を書いたり絵を描いたり、芸術的な素養も秀でていた。いずれ彼もミュージシャンの道を歩むのでは。そう誰もが何となく予想していただけに、早稲田大学進学後、拓馬が演劇の道を選んだことは、まったくの想定外だった。なぜなら、これまでの拓馬の人生に演劇はただの一度も登場したことなどなかったのだから。

学生演劇の頂点・劇研。そこで演劇のてっぺんを目指すことを決めた。

obonro4「演劇を始めようと思ったのは、本当たまたま。何のサークルに入ろうとかと校内を歩いてたら、ふっと目に入ったのが演劇だった。ただどうせやるならてっぺん目指したいと思って、早稲田で一番厳しいって言われる劇研(早稲田大学演劇研究会)に入ったの」

劇研と言えば、第三舞台、遊◎機械/全自動シアターなど数々の人気劇団を輩出した学生演劇の頂点。入団希望者も多く、厳しい肉体訓練で篩にかけられた。しかし、バスケで鍛えた体力と負けん気を武器に、拓馬はハードな稽古にも必死で食らいついた。初めて演劇的才能を開花させたのは、稽古中でのエチュードだ。拓馬から繰り出される即興の物語りに、多くの人が魅了された。

しかし、当時の劇研は、いわゆる“静かな演劇”ブーム。ロックを愛する拓馬の肌には合わなかった。そこで、劇研を飛び出し、同期のメンバーで自分たちの劇団を結成。それが、おぼんろの前身・トラトロンだった。

「あの頃はまだ何も演劇の世界のことをわかってなくて。でも自分の書いている話は世界に通用するって自信だけはあった。だから1回公演打ったら、取材とかバンバン来て有名になるもんだって思いこんでたんだよね。実際は何も変わんないどころか、ネットとかいろんなところで“才能がないから辞めた方がいい”とか書かれちゃってたんだけど(笑)」

大失敗に終わった第5回公演。お金も仲間も信頼もすべて失った。

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当時まだ20歳。戯曲の書き方も、演出の技術も何も知らない、向こう見ずな若者だった。批判の声は次へのエネルギーに変えて、とにかく公演数を重ねた。トラトロン旗揚げから1年で、おぼんろへ改名。夢は、プロになること。就活に勤しみ、次々と有名企業から内定を得る同級生を尻目に、拓馬はどんどん演劇にのめりこんでいった。しかし、無鉄砲な若者の無軌道な猛進は、程なく“大事故”を迎える。

「“学生劇団”っていう括りにいつまでも入れられるのが嫌で、そこから飛び出そうと初めて外小屋でロングランを打つことにしたの。2週間15ステージ。当時の自分たちのレベルから見れば無謀でしかなかったんだけど、やるしかなかった。俺はこの世界でしか生きられない。だから全身全霊をかけるしかない。生半可な気持ちでやったら演劇の神様に失礼だって気持ちだったんだよね、あのときは」

それが、第5回本公演『海ノ底カラ星ヲ見上ゲヨ』だった。自分の実力をこの世界に示したい。プロになる道筋をつけたい。その一心で今持てるものすべてを注ぎ込んだ。とにかく動員を伸ばそうと、演劇ポータルサイト・Corichの登録ユーザー全員に案内のメッセージも送った。発足から3年。学生劇団からプロ劇団へ脱皮を図る一作となるはずだった。

しかし結果は大失敗に終わった。売れないチケット。相次ぐ酷評。仲間の離脱。自分の人生のすべてをかけた公演で、拓馬はすべてを失った。昼間から酒を飲み、自暴自棄に陥る毎日。もう演劇の世界に戻ってこられないのではないか。そう多くの人が危ぶんだ。

たったひとりのために芝居をする。路上で見つけた演劇の本質。

obonro13だが、末原拓馬は終わらなかった。なぜなら、彼には演劇しかなかったからだ。さひがしジュンペイ、わかばやしめぐみら現在の劇団員に支えられ、情熱を取り戻した拓馬は、2010年、 NODA・MAP『ザ・キャラクター』に出演。その大舞台の裏で、路上でのひとり芝居をスタートさせた。劇場を借りるお金もなければ、一緒にやる仲間もいない。だったら、何もない路上でもう一度ひとりで始めればいい。それは、実にシンプルで、素直な表現欲求だった。

「大変だよ、道端にいる人の足を止めるのは。気を引く隙なんて10秒もない。その間にどうやって興味を持ってもらうか。本気でやらないと、誰の心にも届かないから」

冷たい冬の風に吹かれながら、拓馬は路上に立った。目が合った相手に、すかさず「お前のために、今からここで芝居をやるから絶対に観てろよ」と呼び止める。そして「お前はサクラだ。お前が楽しそうに観てたら、絶対に人は集まる。それで満場になったら最後にハグしよう」――そう共犯関係を結ぶ。報酬は、チュッパチャップス1本。そのチュッパチャップスをサクラの観客が舐め終わるまで、拓馬は全身全霊を込めて物語りを演じ続けた。目の前にいる、たったひとりの“共犯者”のために。

「路上にはいろんな人がいたよ。酔っ払いのおじさんもたくさんいた。でもね、そんなおじさんが俺の芝居を観てボロボロ泣いてるの。“生きてるっていいなあ”って言うの。伝えるってことがどういうことなのか、俺はあの路上でようやくわかった気がする」

そうして、止まっていたおぼんろの時計も再び動き出した。第6回公演『狼少年二星屑ヲ』。拓馬は、路上で会った1000人以上の観客に案内の手紙を書いた。心をこめて、一心に書いた。集まった観客は167名。たった167人と言う人もいるかもしれない。だが、この167名の参加者とともに、おぼんろの第2章が始まったのだ。

失意の果てで出会った仲間たち。5人で目指す自分たちの理想郷。

obonro3おぼんろには、独自の風習がたくさんある。そのひとつが、「面白いと思ったら、次回参加するときは、友達や家族を連れてきてください」と拓馬自らが観客にお願いする“倍々作戦”だ。以降、公演ごとに文字通り動員数は倍増し、第11回本公演『パダラマ・ジュグラマ』で動員3672人を達成。しかも特筆すべきは、キャストは劇団員5人のみだということだ。

末原拓馬にとって、劇団員はただの俳優ではない。どん底にいた自分を救ってくれた恩人であり、恋愛に近い、特別な仲間。他の誰でもいいわけじゃない。彼らとやることに意味があるのだ。

「昔からキャストを増やして集客を増やすっていう手法が好きじゃなくて。だったら、本当に俺たちのやっている芝居を面白いと思って来てくれる人だけで客席を埋めた方が絶対にカッコいいと思う」

そうこともなげに言う。末原拓馬は、こんな腐敗した世の中には不似合いなほど純粋なユートピアンだ。“倍々作戦”が奏功したのも、彼の無垢な情熱に参加者が呼応したからに他ならない。彼はいつも終演後、体力の尽き果てた細い体を必死に奮い立て、ありったけの想いを参加者にぶつける。いつかこの5人でシアターコクーンでロングランを打ちたい、と。そのまっすぐな夢が叶う日を一緒に見届けたいから、参加者も真摯におぼんろを追いかけ続けるのだ。

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「昔、コクーンは日本の演劇のてっぺんなんだって教えてもらったことがあって。だからいつか劇団員だけであの場所に立つのが俺の夢。だって、今、ほとんどいないでしょ? 劇団でコクーンでやれるところなんて。それに、俺たちって、どこか演劇界のエラい人たちからバカにされているところがあって。そういうのに対して、“てやんでえ”って気持ちもあるのかもしれない。俺らがちゃんとしたものであるという証明のためにも、コクーンに行きたいです」

そして今、末原拓馬の心を強くとらえているもうひとつの夢が、おぼんろ専用の劇場を建てることだ。

「劇場はみんなにとってパワースポットであってほしい。1本の芝居が人生を変えることって、本当にあると思うから。あそこに行くと元気が出る。そういう場所を自分たちでつくりたいっていう気持ちが強いんだよね」

そのためのステップのひとつが、第14回公演『ヴルルの島』での5000人動員達成。今、おぼんろは何度目かの岐路の前で、深く大きく深呼吸をしているところだ。

人気商売ゆえのコンプレックス。それでも末原拓馬は決して折れない。

obonro11末原拓馬と言えば、今や商業演劇の世界でも人気を集めつつある。フィールドが広がったことで、今までと違う複雑な感情を味わう機会も増えた。

「コンプレックスばっかりですよ。商業の舞台に行くと、みんなカッコいいからさ。写真撮ろうって言われると、正直嫌だなあって思うし。最初の1週間くらいは病んでばっかり」

そう正直に打ち明けた。いわゆる2.5次元系と呼ばれる世界では、ビジュアルも実力も兼ね備えた若手俳優がひしめきあっている。まだ20歳になったばかりという若い俳優も多い。

「自分がそいつらと同い年くらいの頃なんて、30人の劇場を埋めるのに必死になってた。やっと吉祥寺シアターに立てて喜んでいたら、そいつらはもう700とか、下手すればもっと大きな劇場で芝居をしているわけ。うちの兄ちゃんたち(さひがしら劇団員のこと)はみんな“うちには拓馬がいますから”って俺のことを希望にしてくれるけど、そういう世界に行ったら俺なんて全然。路上で芝居やってて、小劇場出身であることは、俺にとっては勝負のカードでもあるけど、同時にコンプレックスでもあると思う」

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拓馬は間近でそういった“売れ線”の俳優たちを見てきた。彼らはライバルでもあり、仲間でもある。日々自分のビジュアルをキープするために汗を流し、少しでもファンを増やすために必死に努力をしている姿をそばで見ているからこそ、彼らと伍するには自分だけのカードを見つけなければいけないのだということは痛いほどよくわかっている。

――今よりももっと強いカードを。

それは、間違いなく“物語り”だと、そう思う。稀有な俳優であると同時に、天性の劇作家であり演出家であることが、末原拓馬の唯一無二のアイデンティティなのだから。多くの人が、彼の紡ぐ“物語り”に惹かれ、日々劇場へ足を運ぶのだ。そう、眠りにつくその前に、母に読み聞かせをせがんだ子どもの頃のように。

自らが愛した楽曲たちのように。世界をまるごと包み込むような物語りをつくりたい。

obonro8「俺がつくりたいのは、100年先も語り継がれるような世界のスタンダードになる物語り。何かみんなもうそんなものは生まれてこないっていう前提でやっているように見えて仕方ないんだけど、絶対そんなことないと思う。ルイ・アームストロングの『WHAT A WONDERFUL WORLD』のような、ベン・E・キングの『スタンド・バイ・ミー』のような、そういうスタンダードが今の時代には絶対必要なんだよ」

そう訴える顔は、もう無邪気な弟分のそれではない。天衣無縫に見えるこの青年も、30代を迎え、背負わなければならないものが増えた。きっとその荷物は年々重くなっていくことだろう、彼がてっぺんを目指すことを諦めない限りは。

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だが、それでもひとつだけはっきりしていることがある。どれだけ彼が大人になろうと、末原拓馬の紡ぐ物語りだけは無垢なままだ。この世に産み落とされたばかりの赤ん坊のように、清らかで、繊細で、そして強烈な生命力を持って、人々の心を揺さぶり続ける。むしろその純度は、強度は、一層高まっていくに違いない。

「だから俺はいつか自分で必ずつくりたい。世界をまるごと包み込むような、肌の色とか目の色とかそんなの全然関係なしにみんなが同じ感動を分かち合えるような、そういうスタンダードを」

そう静かに誓った。末原拓馬はこれからも彼しか見ることのできない景色を、彼しか持つことのできない絵筆で、力強く描いてくれるはずだ。それがいつのことになるかはわからない。だけど、いつかきっとやってくる。

彼の物語りを多くの人が“100年続くスタンダード”として愛し、語り継ぐそのときが。
img_5743 取材・文・撮影:横川良明   画像提供:おぼんろ

My ゲキオシ!

メリディアーノ・シアター

デンマークの団体が来るからって、なんか縁あって観させてもらえることがあって観たんだけど、とてつもなくシンプルな物語りの、言葉もない表現に号泣したのを覚えてる。何かを観たり聴いたり読んだりで何かを感じるのって、正直、そのときの自分の波長に合うかどうかも大きく関係すると思うのだけれど、このときは、すごい心が動かされたのを覚えてる。

プロフィール

末原 拓馬(すえはら・たくま)

1985年7月8日生まれ。おぼんろ主宰。脚本家・演出家・俳優。音楽家の両親を持ち、幼少期から音楽の手ほどきを受ける。10代はバスケットボール一色で過ごすも、早稲田大学に入学すると同時に演劇研究会に入会。2006年におぼんろ旗揚げ。路上での独り芝居を繰り返した事が評判となり、現在、劇団おぼんろは4000人近くの動員力を持つ劇団となった。
劇団公演やドラマ、客演舞台の傍ら、独り芝居の公演を頻繁に行い、大会において過去に3つのグランプリを受賞。2013年には全国11カ所44ステージに及ぶ独り芝居全国ツアーを行った。
近年では脚本の外部提供も増え、岡山県ルネスホールのコンクールで最優秀作品に選ばれた『月の鏡にうつる聲』は2014年、数回に渡る再演の末、岡山市と台湾新竹市の友好交流協定締結10周年の記念式典にて海を越え上演されるに至った。

おぼんろ

2006年、早稲田大学在学中の末原拓馬を中心に結成。以降、末原拓馬がすべての公演の脚本、演出を手がける。高い物語性と路上一人芝居によって培われた独特な表現方法が話題を呼び続け、本公演には全国各地から参加者が足を運び、総動員は4000人に及んでいる。2011年以降、劇団員は、さひがしジュンペイ、わかばやしめぐみ、藤井としもり、高橋倫平を含む5人で固定され、末原は最年少の主宰を務めている。