2016.08.25

今がいちばんの充実期。26年目のX-QUESTが迎える新たな冒険の出発点。【X-QUEST トクナガヒデカツ】

今がいちばんの充実期。26年目のX-QUESTが迎える新たな冒険の出発点。【X-QUEST トクナガヒデカツ】
  • アクションがすごい!度
  • ダンスがすごい!度
  • オリジナル楽曲がすごい!度
  • イケメン度
  • なぜか心が震える度
  • 生きてるって素晴らしい!度

X-QUEST(エクスクエスト)の世界は、疾走する万華鏡のようだ。極彩色の衣裳を身にまとい、役者たちは四角いステージを縦横無尽に駆け回る。汗と熱が渦巻くステージで繰り出す物語は、万華鏡のごとく、くるくると表情を変える。ダンスと殺陣を多用したアクションエンターテイメントと思いきや、戯曲は極めて演劇的。野田秀樹の影響を強く受けた言葉遊びで張り巡らされ、膨大なイメージと日本語独特の美しい韻律で紡がれた台詞により、知らぬ間にその幻想と妄想の森へ引きずりこまれていく。
結成25周年を超え、今や小劇場界においては堂々たる老舗劇団。しかし、その人気はむしろ近年飛躍の一途を辿り、演劇サイト・CoRichの観てきたランキングでは上位10位中、1・3・6・7位をX-QUESTが占める。
そんなエンターテイメントの最前線を走り続ける無法者たちの、爆走の軌跡を辿った。

主要成分は運動とアート。人気者になりたかった少年時代。

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少し赤みがかったロングヘアをふわふわ揺らし、X-QUEST主宰・トクナガヒデカツはまるで新しい遊びを発見した子どものように無邪気に語る。トレードマークの長髪は、少年時代に憧れたフィンガー5譲り。西城秀樹に沢田研二。ブラウン管の中のスターに魅せられたトクナガは、小さい頃から目立つのが好きな子どもだった。

「とにかく人気者になりたかったんですよ。小4の頃には校庭でよく宙返りやバク転をやってました。できたらカッコいいかなと思って(笑)」

自慢の身体能力は、そんな目立ちたい願望によって育まれた。一方で、幼稚園の頃から絵画教室に通うなど、アートへの感度も高かった。故郷は、山と川に溢れた群馬の片田舎。画題には事欠かなかった。少年・トクナガは、好奇心の赴くままに絵筆を走らせ、その感性を伸ばしていった。

「中学に入ってからはアニメにハマッて。その頃から好きなアニメの監督が誰かとかも調べるようになりましたね。中学時代は、目立って先輩に睨まれるのが嫌で、あえて内側にこもっていた時期。その分、自分のインナースペースを広げる時間になりました」

演劇に対する好奇と落胆。そして劇団旗揚げへ。

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演劇との出会いは、高校。最初は美術部と体操部の掛け持ちだった。しかし、「面白いやつがいるぞ」と目をつけられた演劇部員に、「エキストラでも」と出演を請われた。その誘いが、トクナガの人生を変えた。

筋トレ、ストレッチ、走り込み。文化部のイメージを破る運動量は、身体を動かすことが好きなトクナガにとっては本望だった。小道具も大道具も自分たちの手づくり。音響で好きな楽曲を選べるのも、音楽好きのトクナガにはたまらなかった。結果、エキストラのつもりで入部したはずの演劇部に、トクナガは青春の情熱を燃やし尽くした。

「中でも同じ地区に共愛学園という女子校がいて、そこの演劇部のお芝居が面白かったんですよ。部員が40〜50人もいるのに、出てくる役者は5人だけ。残りは全員控えというような強豪校で。何とかそこに勝ちたくて練習してましたけど、結局大会では1度も勝てないまま終わりました」

だが、そんな苦みも青春を豊かにするスパイスだ。高校卒業後、トクナガは地元・群馬を離れ、日本大学芸術学部演劇学科へ進学。全国から集まった演劇猛者と、刺激的なキャンパスライフを送る――はずだった。

「どんな面白い演劇が待っているんだと思って上京したら、全然面白くなかった(笑)。授業もつまらないし、学生も思ったより普通というか、別に本気で演劇をやりたいっていう子ばかりじゃなかった。友達のやるお芝居を観ても、高校で観たものより面白いと思えるものがひとつもなかったんです。まあ、要は肌が合わなかったんですよね」

落胆したトクナガは、殺陣同志会へ入部。俳優・真田広之も在籍した歴史ある部で、本格的に殺陣を学んだ。日々何百回と素振りに励む毎日。年に2回の地獄の合宿では、倒れる者も続出した。そして大学3年になったとき、トクナガはある決断をする。それが、自分で劇団を旗揚げするということだった。

「いろんなお芝居を見て、自分の方が絶対に面白い芝居ができるって自信があったんでしょうね。それで、同期を中心に声をかけて劇団を立ち上げました。旗揚げメンバーは僕を含め6人。今からもう26年も前のことです」

とにかくカッコいいものを。終わりなき冒険の始まり。

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劇団名は、1999QUEST。時代は、世紀末。ノストラダムスの大予言に世界が震えた終末の時代だ。そんな狂騒の世紀末を探求する冒険家のイメージを、劇団名にこめた。旗揚げ公演のタイトルは『F・O・R・G・E・T -最初で最後の2足歩行-』。当時からダンスと殺陣を盛りこんだ娯楽性の高い作風は変わらない。ダンスを取り入れたのは、当時の相棒の存在が理由だ。演技は下手だけど、踊るとめちゃくちゃカッコいい。そんな相棒の強みを最大限に活かすべく、ダンス色を前面に押し出した。

「昔も今も台本は常に当て書きです。いつも考えているのは、出演する役者さんが最大限よく見えるためにはどうすればいいかということ。ミーティングや稽古を通して、役者さんの性格や人間性を理解した上で、その人の魅力を引き出すためにストーリーやキャラクターのバックボーンを考えていくというのが僕のスタイルです」

旗揚げ公演の動員は3日間で300人程度。客席はほぼ身内だけだったと言う。それが、第3回公演『TWELVE -ガラスの赤い紐-』で池袋シアターグリーンに進出。当時は学生劇団の利用に難色を示していた小屋付きスタッフの態度が本番を観て一変した。面白いものをつくれば、ちゃんと認めてくれる。その確信を得て、トクナガはどんどん演劇の世界にのめりこんでいった。

「当時は就職しようなんてまったく考えませんでした。かと言って劇団を大きくしようという野望を抱いていたわけでもないし、プロダクションに入って名を売ろうなんてこと思いつきもしなかった。お金について気にしたこともないし、チケットノルマって言われても何のことかわからない。完全にサークルのノリだったんですね。ただ楽しいからやっているという感じでした」

突然の難病。もう死んでしまおうと思った。

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だが、そんな享楽的な日々もある日突然暗転する。

予兆はあった。缶コーヒーを飲むと、味がおかしい。まるで賞味期限切れの古いコーヒーを飲んだような不快感が口の中いっぱいに広がる。目の下に頻繁に起こる痙攣と違和感。忍び寄る不調をやり過ごしているうちに、ある朝、目を覚ますと、片目が開きっぱなしになっていた。自分の体に何が起こっているのか。トクナガは乏しい医学情報をかき集め、病院へ駆けこんだ。くだされた病名は、突発性(左)顔面神経麻痺。「一生治りません」と医師は無情に宣告した。

「それからは目が閉じられないし、シャワーも浴びられない。気づいたら口の片側から涎が出てくるんです。客演の舞台まであと1ヵ月という時期でしたが、とても舞台に立てる状態じゃなかった。それどころかもう一生舞台には立てないと思ったんです」

かつてノストラダムスは1999年7の月、世界は滅びると予言した。その悪魔の予言を待たずして、トクナガは世界の終わりを確信した。生まれついての目立ちたがり屋。そんな自分がもう舞台に立てないなら、生きている意味などどこにもない。人生最大の絶望は、明るく楽観的なトクナガから笑顔を奪い、その代わりに死を差し出した。

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「そのときに支えてくれたのが周りにいた演劇仲間です。自暴自棄になっている僕に対して、“ちゃんと治せ”と本気で叱ってくれた。売り言葉に買い言葉で僕もつい“治す”って言い切っちゃったんです(笑)。そこから1年に及ぶ治療が始まりました」

神経ブロック注射に高圧酸素カプセル。治療の合間に、演劇活動も再開した。久々に立った舞台では、病気の影響もあって「滑舌が悪い」とアンケートで指摘された。それでもあきらめることはなかった。ただ演劇が楽しいから続けていた男は、はっきりと決意した。自分は演劇でやっていくのだと。時は、世紀末の終焉。新しい世紀の訪れは、もうすぐそこまで近づいていた。

劇団解散危機から一転。代名詞・リング舞台、誕生。

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ミレニアムを機に1999QUESTは現在のX-QUESTに改名。トクナガも病気を克服し、順調に活動規模を広げていった。その実力は芸能界からも目がとまり、大手プロダクションとの企画公演も持ち上がった。予算の少ない小劇場の劇団にとって、プロダクションとのコラボレーションは渡りに船。新たな客層の獲得も期待できる。華やかな業界からの誘いに、トクナガも明るい未来が開けた気がした――

しかし、それは結果として劇団に不和と混乱をもたらした。キャスティングから台本まで、プロダクションからの干渉は、トクナガの自由な創造性を侵略した。行き過ぎた商業主義も、劇団の気風には馴染まなかった。対立、断絶、疲弊。重度のストレスで古くからの劇団員も心身に不調をきたし、X-QUESTは瓦解寸前に陥った。

「プロダクションからのバックアップを受けることは、劇団としていろんなメリットもありました。でも、いいお芝居をつくる上で何より大事なのは環境なんだってはっきりわかった。だから、僕は今までの関係性を全部リセットして、そこからは自分の好きな人たちと好きなことをしようと決めたんです」

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そして生まれたのが第46回公演『七人の息子』だ。劇場はシアター1010ミニシアター。それは、普段はプロレスで使用されているようなスペースだった。客席は四方に3列のみ。会場中央にはプロレスリングが鎮座している。とても演劇公演をやるような場所ではない。しかし、その劇場としては異色の場所が、トクナガのアイデアを刺激した。

「僕もプロレスが好きでよく観るんですけど、試合が終わったらお客さんが選手の写真を撮り合うんですね。その光景がいいなあって思ってて。この近距離でX-QUESTのアクションをやったら絶対に面白いんじゃないかって、そう閃いたんですよね」

その確信にも近い興奮が、演劇に失望しかけたトクナガの意欲を甦らせた。観客の鼻先を役者が駆け抜け、手を伸ばせば届きそうなほどの眼前でド迫力の殺陣を繰り広げる。そんなワクワクするイメージを胸に、ただ心の赴くまま、自分の好きな世界をつくり上げた。それが、現在に続くX-QUESTの代名詞・リング舞台誕生の瞬間だった。

ヒートアップする熱狂。野望を胸に目指すは新天地。

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舞台を王子小劇場に移し、以降もリング舞台はX-QUESTの名物として定着。手には便利棒、足元はスニーカー。スピーディーな展開に、宮本武蔵や佐々木小次郎、西遊記、源義経など世界各国の逸話をベースにした独特のファンタジーは評判を呼び、熱烈なファンを生んだ。前作『神芝居~アリス・イン・ギガニッポンノワンダーランド~』は全ステージ前売完売と、その勢いはとどまることを知らない。

そんな快進撃を一層ドライブしてくように、X-QUESTはここ数年、ホームとしていた王子小劇場を離れ、約300の客席数を誇るシアターサンモールへ。次回作『最終兵器ピノキオ、その罪と罰 ─ミラージュ・イン・スチームパンク─』は、リング舞台の看板を外し、スタンダードなプロセニアム型で勝負に出る。

「僕は王子のあのカタチ(リング形式)が好きだからずっと王子で続けていきたい気持ちもあるんですけど、やっぱりメンバーにとっては劇団を大きくしていきたい願いがあるし、そのためには大きな小屋にも進んでいかなくちゃいけない。その最初の一歩が、シアターサンモールなんです」

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そう次回作への想いを打ち明ける。トクナガの戸惑いに似た決断は、小劇場を愛する演劇人なら誰もが一度は感じるジレンマだろう。小さな空間だから見せられるもの。だが、劇団を健全に継続していくためには、登らなければいけない階段がある。

「だからね、今、僕が思っているのは、毎年、新作を王子小劇場のリング舞台でお披露目して、その中でも特に人気の作品を大きい劇場で再演していく。そんなふうにバランスをとりながらやっていければいいと考えているんです。まだ、これはあくまで僕の意見なんですけど」

そう前を向く眼差しは、校庭でバク転を披露しスターとなった小4の頃のそれと変わらない。トクナガヒデカツは、いくつになっても面白いことが好きな少年のままだ。

かけがえのない時間を過ごしている。その感謝が、新しい未来を生み出す。

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「最近、しみじみ思うんですよ。今、うちの劇団はすごく恵まれた環境にあるなあって」

ひと息ついて、トクナガは語りはじめた。

「いい年した大人が事務所に集まって、“どうやったらチケットが売れるだろう”とか“こんなグッズを出したら喜んでもらえるんじゃないか”とかワイワイ話している。その光景が、たまらなく好きなんです。今、X-QUESTにいるのは、演劇に一生懸命な人たち。きっと何年かして振り返ったとき、あのときは良かったって胸を張って言える環境に、今、僕たちはいる。かけがえのない時間を過ごしているから毎日一生懸命にやらないとって思います」

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笑うと目尻の垂れる人なつっこいその顔を照れ臭そうに崩して、トクナガは言う。その言葉は、26年の演劇人生を振り変えれば、一層深く、切実に沁みこむ。

一時はもう舞台に立てないかもしれないという絶望を味わった。業界の現実に襲われ、大好きな場所を失いそうになったこともあった。それでも、トクナガは今日も演劇を続けている。自分の好きなものを好きな人とやろう。その一心で、パソコンに向かい、稽古場に通う。

20世紀の終わり、ひとりの演劇青年から始まった冒険の旅は、四半世紀の時を超え、今また新たな地平へと踏み出そうとしている。

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取材・文・撮影:横川良明   画像提供:トクナガヒデカツ

My ゲキオシ!

鵺的

うちとはまったくカラーが違うんですけど、高木登さんの脚本がすごい! 単なるエログロにとどまらず、特殊な状況下で生まれてくる人間のドロドロした感情を、どこか「あり得る!」と近くに感じさせてくれる距離感が面白いなって思います。

シベリア少女鉄道

作家にとって、自分のつくる物語を消費されることって怖いと思うんですよね。でも、シベリア少女鉄道はそんな恐れを一切持っていない。パッと見て、パッと楽しんで、パッと忘れられる。その潔さに敬意を覚えます。

青年団リンク

若手演出家がいろんな公演をされていますけど、それぞれなかなか面白いです。演劇における「演技」というものをまったく信用していない僕に、「こういう演技なら見てもいいなあ」と思わせてくれました。

プロフィール

トクナガヒデカツ

8月26日生まれ。群馬県出身。X-QUEST主宰。1990年、『F・O・R・G・E・T -最初で最後の2足歩行-』でX-QUESTの前身である1999QUESTを旗揚げ。以降、全作品の作・演出を手がけるほか、役者としても出演。また、テレビやラジオの出演、外部カンパニーの演出や殺陣振付をはじめ、モーションキャプチャーアクターなど多岐にわたって活動している。

X-QUEST(エクスクエスト)

1990年に母体となる1999QUESTが旗揚げ。00年、『赤と黒』でX-QUESTに改名。生の人間の肉体表現にこだわり、肉体をフルに使う高速での立ち回りや、ダイナミックなダンスでの表現に加え、シーンの切り替えの早さ、独特の言い回しやリズムに乗せられ発せされる詩のような台詞群により、世界をトランス状態にもっていき、真実を浮かび上がらせる。