2019.08.06

人生のピンチが来たとき、演劇を続けるかで立ち止まる。奥山雄太×竜史×内田倭史が語る“劇団を続けるということ”

人生のピンチが来たとき、演劇を続けるかで立ち止まる。奥山雄太×竜史×内田倭史が語る“劇団を続けるということ”

大学演劇出身で、現在は劇団を主宰。そんな共通点を持つ、ろりえ主宰の奥山雄太、20歳の国主宰の竜史、そして劇団スポーツ主宰の内田倭史の3人が大学演劇をめぐってがっつりクロストーク。
後編は、大学演劇から小劇場へ軸足を移す中で直面した難しさ、歩みの中で感じる変化について、3人のホンネが飛び交います。

奥山雄太(おくやま・ゆうた)

1987年5月28日生まれ。神奈川県出身。ろりえ主宰。大学時代は早稲田大学演劇倶楽部(通称エンクラ)に所属。Twitter:@rorie0980

竜史(りゅうし)

1988年3月21日生まれ。茨城県出身。20歳の国主宰。大学時代は劇団木霊に所属。Twitter:@muriryushi

内田倭史(うちだ・まさふみ)

1996年2月15日生まれ。大分県出身。劇団スポーツ主宰。大学時代は早稲田大学演劇倶楽部(通称エンクラ)に所属。Twitter:@friction8215

演劇で食っていこうという人が減ってきた気はする。

ろりえは大学在学中に旗揚げしました。卒業するとき、このまま劇団を続けていくかどうか悩んだりしませんでした?

あ、聞きたいです、それ。

特に何も話し合いとかはなかったんですよね。卒業する年の3月に王子(小劇場)と大阪で第4回公演『恋2』をやって。それを観た三鷹市芸術文化センターの方に次の年のMITAKA“Next”Selectionに選出してもらったんです。そもそも誰も就職とか決まってなかったし、だから続けるとか続けないという話にまで至らなかったというか。

他の周りの同期とかはどうだった?

同期が16人いたんだけど、その中で就職したのは数人で、演劇を続ける人が多かった。あとは大学院に行ったりとか。と言うのも、僕らが卒業のタイミングって就職氷河期だったから、あえて就職浪人する人も多かったのかも。

これはあくまで個人的な肌感覚なんだけど、そこから就職率がまた上向きになったあたりから、大学での演劇活動はあくまでエントリーシートに書く「学生時代に頑張ったこと」の一環で、演劇で食っていこうという人が減ってきた気はする。

確かに僕らの代も卒業しても演劇を続けようと思ってやってる人はすごい少ないです。

そうなんだ。僕たちの頃は、演劇で食っていきたいという人ばっかりだったイメージだから。

サークルによっても違うのかもしれないです。同じ早稲田の中でも劇研(早稲田大学演劇研究会)の子たちは卒業後もやっていくんだろうなって感じがするんですけど、エンクラとか劇団森とかは4年になったら就活の話で持ちきりです。

これは推測だけど、いわゆるポストドラマが流行りはじめて、昔より演劇がオシャレに見えはじめたのも理由のひとつにあるのかもしれない。演劇に対するハードルが下がって、軽音サークルに入る感覚で演劇サークルに入る子が増えたというか。

だから、厳しい新人訓練に耐えて将来は堺雅人さんみたいな実力派のプロの俳優になりたいというよりも、みんなで仲良く楽しくやりたいという人も増えたのかなって。

30代以降は自分のためだけじゃ演劇は続けられない。

竜史さんは大学卒業後、役者として活動したのち、2012年に20歳の国を建国(2016年より劇団化)しています。

とにかく卒業後は役者1本でやっていくぞと、大学4年生の頃からいろんな劇団のオーディションを受けはじめました。何をあんなに確信を持っていたのか今となってはわからないですけどね。別に「竜史は才能があるから続けた方がいいぞ」とかそんな優しい言葉はひとつももらったことはないですし(笑)。

内なる声に従ってね(笑)。

そうそう、内なる声に(笑)。とにかくずっと普通というか、愚にもつかないやつだとサークルでは思われていたから、あのときはもう面白くなりたいという一心でやっていた気がします。

それで、2年間、小劇場で俳優をして。そうすると、「竜史はちょっと面白いぞ」と言ってくれる人が同世代に増えはじめたんです。それが気持ち悪くて、今度は自分で劇団をつくりました。

せっかく「面白い」という評価をもらえたのに?

ここの評価に安住してしまったらダメになると思ったんですよ。確かに小劇場界隈に知り合いは増えたけど、自分が面白いと思っている人との仕事がなかなか増えなくて。これはちゃんとイチからやり直さないと、面白い人と仕事はできないし、ひいては面白い作品をつくれないなと気づいたんです。それで、遅ればせながら劇団をつくろうと。

内田さんの場合はどうですか? まさに今、学生劇団の「学生」という冠がとれた時期かなと思うのですが。

そうですね。この間、早稲田どらま館で公演を打って、もう二度と早稲田で芝居をすることはないと思っているので、自分たちとしては学生劇団ではないって言いたいですね。

劇団スポーツのあいだでは、就職するとか、今後の劇団の活動をどうするという話は出なかったんですか?

僕らは何となく就職することはないだろうなっていうのがお互いのあいだであったので。それよりも「次回公演どうする?」っていう感じで。たぶん就職するか続けるかっていう議論になってたら、今こうして続けていないと思います。

たぶんまだ人生のピンチが来てないから。結局、演劇を続けるか辞めるかの話って、親が死んだとか、そういう転機が訪れて初めて現実的になる。人生のピンチが来ない限りは続けられるんですよ、演劇って。

それこそ実家は誰が継ぐんだとか、親の老後は誰が見るんだとか、結婚はどうするんだとか、考えようと思ったらいくらでも考えられちゃう。いずれ絶対来るだろうから、そのときは…とは思っていますけど。

同世代とそういう話はしますか?

そういう話をしちゃうと、大抵暗い話で終わるから、全然関係のない話をして何となく場の空気を変えるようにしています(笑)。

あと何年かすると、ずっと暗い話をし続ける時代が来るから(笑)。

ろりえはどうですか? 続けていく難しさはありましたか?

メンバーそれぞれに、いろんな人生のタイミングがありますし、それについては常に考えています。

ただ、これから先どうなるかわからないけど、みんなが戻ってこられる場所をつくっておくことが、自分の役目なのかなと思っていますね。

団体を続ける難しさは常に責任があること。僕も最初の何年かはひとりでやっていて、その方が身軽だったとは思うんですけど、身軽だけじゃ面白いものをつくるのに限りがあって。自分以外の人間とつくる面白さがわかったから、途中で劇団にした。

そうするとつくる面白さは増えたけど、今度はひとりのときには感じなかった責任も感じるようにはなりました。でもその責任が、演劇を続ける理由になるというか。

理由?

さっきの就職の話を聞いて思ったんですけど、迷うのはたぶんみんな演劇にどこか未練があるから。逆に言うと、未練がない人――要は演劇より大切なものができた人はスパッと辞められる。そこで続けることを選択したあとも、実家のこととか結婚のこととか、演劇より大切にしたいものができたときに、みんな立ち止まるわけで。

それでも演劇を続けようとしたら、自分以外の人がいないとダメな気がします。自分ひとりでやっていたら、演劇より大切なものを見つけたときに続けようという気持ちが持てない。奥山くんの言う、戻ってくる場所を守るみたいな、そういう何かがないと。結局、30代以降の演劇のつくり方はそういうことなんじゃないかと思いますね。

30代以降、どうやっていくんだっていうのは考えますね。

最高に楽しい日々が待っているんじゃないですか? 僕は演劇以外のこと――たとえば映像の脚本の仕事を始めて、すごく面白いし。でもそれは演劇をやっていたからできたこと。だから、演劇だけでまだ食えてはいないけど、わりと満足しているし、これからもっと面白くなっていきそうだなって予感はしています。

劇団自体が、他のいろんなことをやるためのモチベーション。

奥山さんはドラマの脚本をやっていますし、竜史さんも『No.2』など外部の活動に意欲的に取り組んでいます。そういう劇団以外の仕事へと拡張していくきっかけって何があるんでしょう?

それは人それぞれだと思います。僕の場合は、三鷹の公演のときに制作会社のプロデューサーの方が観に来てくださって、そこからテレビのお仕事をやるようになったという感じですね。

20歳の国はずっと「青春もの」をやり続けてきました。今回の『No.2』もそうですけど、外からの発注はそういう「青春もの」を観て面白いと思った人が声をかけてくれる感じで。逆に言うと、「青春もの」に関連しない仕事が外から来ることはまずない。

結局、自分のやりたいことをやって、それをちゃんとひとつずつつなげていくことが正攻法なのかなとは思います。

僕にとって、劇団の公演は、僕らが他のいろんな面白そうなことをやるための手段でもあるし、逆に劇団以外のお仕事って、最終的に劇団公演に活かすことが目的でもある。劇団を通じて知ってもらうことで他の現場に呼んでいただけることもあるし、劇団で面白いことをするために他のいろんな現場に出ているのもある。

劇団自体が、他のいろんなことをやるためのモチベーション。たぶん劇団がなかったらそんなにいろんなことをやりたいとは思わない気がします。

震災を経て誰かのために演劇がしたいと思った。

劇団って「××期」みたいな何かしらのフェーズがあると思うんですね。自分たちの団体の歩みをそれぞれフェーズに分けるとしたら、どう説明しますか?

何だろう…。まだ僕らはようやくスタートラインが見えたというか、向こうの方に何かあるようだぞっていう段階です。どうやらこの先に行けば道が続いているらしいことがちょっと感じられるようになってきたというか。今までは本当に「これ、どっかに続いているのかな…?」って感じだったから。今も半分そんな感じですけど(笑)。

僕の中では、まず純粋に芝居をつくるのが楽しいピュア期があって。そのあとに、大きい劇場に行くとか、年上の客演さんを呼ぶとか、何かしらステップアップしようと勝負する時期が来るんですよ。それが、名付けるならチャレンジ期。

ただ、このチャレンジ期で大勝ちをする人ってあんまりいないと思っていて。まだわからないことをやるから大抵は大負けする。でも、本当に大事なのはこのあとなんです。大負けたしたあと、何を学んで、どう這い上がってくるか。そこが本当の勝負期。

わかりやすく整理するなら、ピュア期→チャレンジ期→勝負期なのかなと。

20歳の国は今どのフェーズですか?

勝負期が終わって、今の僕たちは第二チャレンジ期。一瞬、自分は何をやりたいのかわからない時期があって。ずっと「青春もの」をやってきたけど、決して「青春がやりたい」というわけではなかったんですよ。

じゃあ、自分は何がやりたいんだろうってずっと考えていたんですけど、たぶん僕が描きたいのは「人と人との関わり」で。青春は人を描くための手段だったことにやっと気づいた。だから今はとにかく人を描くことをやりたいし、やりたいことはいっぱいあるぞって考えている時期です。

奥山さんはどうですか?

僕の場合は劇団というよりも個人の視点になっちゃうんですけど、まず最初は調子乗っている期。「オレより面白いやつは全員死ね」と思っていました…(苦笑)。

あったね、髪長くて派手な服着てた時期が。学内にいても一発で奥山だってわかるぐらい、ありえないカッコをしてた(笑)。

それが東日本大震災あたりで自分の作風を見つめ直す時期が来て。自分のためじゃなくて、誰かのために作品を描きたいと思うようになった。それまでは演劇を通じて自分のリビドーとか欲を具現化し続けていた気がするけど。突然、誰かに優しくしたいと思うようになって。俺自身が優しくされたいから、そのためには俺から優しくしようみたいな。

奥山くんはやりたいことがわからなくなる期はなかった?

笑いをやりたいというのが根っこにあるから見失うまではいかないんだけど、いつの間にか「次は何しよう?」って追い立てられるようにはなっていた。

学生の頃は、ひとつの公演が終わっても自動的に次の公演でやりたいことが出てきたけど、あるときからやりたいことが自然に出てこなくなって、あれこれ考えるようになった。結果的にそこから台本が遅れる期に入りました(笑)。

今の奥山さんを「××期」で表現するなら?

新しいことを始めたい期ですね。令和なんで(笑)。元号が変わったのはいいタイミングだと思っていて。もしかしたらこのまま停滞するかもしれないなと思っていたものが、何か外からの力で突き破れた感じはあります。

やりたいことは具体的に言った方がいい。

最後にこれからやりたいことってありますか?

最近、よく昔のことを思い返したりするんですけど、さっき言ったチャレンジ期の企画書に「グラビアアイドルを自分の芝居に出したい」「お笑い芸人とやりたい」って書いていたんですよ。

それ、今回の『No.2』で叶えちゃったじゃん。

そう。やりたいことをちゃんと言っておくと、あとで何かあるかもしれないんだなって。奥山さん、今、日向坂46のメンバーが主演の映画(『恐怖人形』)の脚本やってるじゃないですか。僕、欅坂46が好きで、僕もいつか絶対一緒に仕事してえなと(笑)。

言っていれば、いつかできるよ。

具体的なことを言うのは大事だよね。この劇場でやりたいとか、具体的な夢があると大きな原動力になる。それも現実的なレベルじゃなくて、なるべく夢があることを言うと自分の状態を引き上げられると思う。

僕は、KAAT(神奈川芸術劇場)でやりたいっていうのがずっとあって。なんかカッコよくないですか。チラシにKAATって自分で入れたいなって。

劇団スポーツがKAATでやりたいというのは上の句と下の句が合っている感じがする。

有名な人と一緒にやってみたいとかもあるんですけど、劇団員だけで大きい劇場でロングランとか打てたら最高だろうなと思います。

めちゃめちゃカッコいいよね。

おっさんになってそれがやれたらいいですね。


大学演劇での経験や人脈を糧に、卒業後も演劇を続けている3人。劇団を運営・継続することは決して簡単ではありません。それでも彼らが続けるのは、劇団という場所に対しての愛情があるからのように見えました。
何年か経ったときに、彼らがどれだけやりたいことをカタチにしているのか。ひとりの観客として、彼らの辿る夢の軌道を追い続けたいと思います。
 
※クロストークの前編はコチラから。まだ読んでいない方はあわせてお読みください。
 
取材・文・撮影:横川良明

INFORMATION

ドラマL『ランウェイ24』

ろりえ主宰・奥山雄太が脚本を務めるドラマ『ランウェイ24』(ABCテレビ・テレビ朝日系)が放送中! 主演は今作が連ドラ初主演の朝比奈彩。さらに『仮面ライダービルド』の犬飼貴丈、『仮面ライダーウィザード』の白石隼也が脇を固め、航空会社Peachを舞台に女性パイロットの奮闘と成長を描く。
ろりえ新作本公演も2019年12月下旬に下北沢・駅前劇場で上演予定!

舞台『No.2』

20歳の国主宰・竜史が脚本・演出を手がける『No.2』が2019年8月22日(木)から9月1日(日)まで東京・神保町花月にて上演。お笑い芸人のピスタチオを主演に迎え、大学の演劇サークルで出逢った男2人の10年を描く青春群像劇。大学演劇にふれたことのある人には胸に刺さるドラマになりそう!

DULL-COLORED POP第20回本公演「福島3部作・一挙上演」

劇団スポーツ主宰・内田倭史がDULL-COLORED POPの最新公演に出演。“福島三部作”と銘打たれた本作で、内田は第一部の『1961年:夜に昇る太陽』に主演する。谷賢一が3年間かけて取材・構想・執筆した渾身の大作。夏の演劇シーンを揺るがす1本になる予感。