2018.05.20
【U-25の衝動】少女都市 葭本未織インタビュー「私の演劇は、社会を変えるためにある」

9歳のときに見た舞台上の美しい生き物。それが、すべての始まりだった。
少女都市のホームページには、「少女都市宣言」と銘打ち、こんなテキストが綴られている。
「少女都市は、女性の持つ暴力性をテーマに、
女性の情念を、舞台空間に女優の体と言語で解き放つ。
少女都市の「少女」とは、
喜び・怒り・憧れ・憎しみ・優越感・劣等感…
いくつもの想いが混在する情念の「器」のことだ。
傷つけられ蔑まれ、簡単には納得できない複雑な想いが
少女の体と邂逅したとき、
少女は無意識に自分自身に嘘をつく。
少女の嘘は周囲を巻き込み、
次第にひとつの大きなうねりとして社会を変えていく。
少女都市が生み出すのは、閉塞感という空気が作り出したヒエラルキーを打ち破るためのアンセムである。
少女都市 Girls Metropolis
主宰・葭本未織 よしもとみおり
言葉と言葉の継ぎ目からこぼれるような強い意志。取材の待ち合わせ場所で彼女のことを待ちながら、僕は今から目の前にやってくる女性を、ロックでアクの強い無頼派か、あるいは深く沈んだような眼差しで社会全体を見渡す夜更けの灯台のようなイメージを抱いていた。しかし、爽やかな水色のワンピースを翻して現れた葭本未織は、そんな先入観を覆すほど、よく話し、よく笑う、明るくて、人なつっこくて、それでいてとてもクレバーな女性だった。
「演劇をしようと思ったのは9歳のとき。知り合いの子が出ている児童ミュージカルの舞台を観に行ったんですよ。演目は『風の又三郎』。そしたら又三郎役の女の子がめちゃくちゃ綺麗で。妖精とか天使とか、そんな陳腐な言葉で表したくないくらい神々しかった。あの女の子が私の演劇人生の始まり。自分があんなふうになりたいとかじゃなくて、とにかくこの美しいものをずっとそばで見ていたいっていう気持ちで、私も劇団に入りました」
与えられるのは、名前もない役ばかり。「選ばれない人間であることがコンプレックスだった」と葭本未織は言う。
「あの頃からずっと美しい女性に対して憧れがあった。私にないものをすべて持っているような気がしていました」
高校は演劇科を擁する兵庫県立宝塚北高校へ。3年間、演劇漬けの青春を送った。卒業後、上京し立教大学に進学。同時に文学座附属演劇研究所の門も叩いた。
「あの頃の私は演劇で成功しなければいけないと常に追い立てられながら、自信も、成功体験も、全然なかった。ただ努力が足りない。そうずっと自分に言い聞かせながら、演劇を続けていました」
「ずっと演出家から怒られないようにやってきた」と語る葭本は、後に大学で恩師・松田正隆氏の薫陶を受け、初めて演出家から自分を信用してもらえる喜びを知ることとなる。それまでは、スパルタな環境下で自己否定の繰り返しだった。抑圧と劣等感の中で、それでも足を踏ん張ることができたのはなぜなのだろうか。
「それはやっぱり今まで見てきた素晴らしい演劇のおかげです。唐組の『虹屋敷』や岩松了の『アイスクリームマン』。歌舞伎や文楽、松田先生のつくる演劇。そして何よりも9歳のときに見た、舞台の上にいるあの美しい生き物。ああいうものをつくりたいという気持ちがあったから、演劇を続けることができました」
私は、1月17日に生まれた。だから、震災のことを書かずにはいられない。
そんな若き演劇人が書くことに自らの業を見出すのは、処女作『聖女』がきっかけだった。
『聖女』とは、10年前に起きた女子中学生殺害事件を背景に、自分にとっての神様を失った女性と、彼女を取り巻く男と女の欲望と嫉妬とエゴイズムが錯綜する苛烈な人間劇。そこで葭本未織は自らの中にある作家性に目覚めた。
「『聖女』というお話を最初に書いたのは16のとき。高校で、既存の作品を下敷きに劇作をするという宿題が出て、それで三島由紀夫の『聖女』を題材に、自分の中学時代の話を盛り込んで、ひとつの短編を書き上げました」
それから年月を経て、今度は大学の卒業制作で再び戯曲を書く機会がめぐってきた。葭本未織は試行錯誤をした末に、16のときに書いた『聖女』を解体し、新たな物語として再構築することを思いついた。そこで骨格に組み込まれたのが、「JKビジネス」と「震災」というモチーフだった。
「その頃、私はJKビジネスにすごく関心があって。知恵さえあれば対抗できるのに、何も知らないがために搾取されてしまう人たちを見ていたら居ても立ってもいられなかった。でも私の周りの同級生は、そんな搾取が行われていることを知らない人がほとんど。まずは彼らにこの現状を知ってほしいという気持ちが、劇作の動機になりました」
もうひとつの「震災」については、彼女の生い立ちが色濃く影響している。彼女は1993年1月17日生まれ。出身は、兵庫県芦屋市だ。そう、阪神淡路大震災が発生したその日に、葭本未織は2歳の誕生日を迎えた。
「まだ小さかったし、地震が起きたときの記憶はないんです。でもその後の記憶は今も鮮明に残っている。しばらく避難するために母とふたりで甲子園まで歩いたんですけど、甲子園に着いた瞬間、母が『OLがいる』ってボロボロと泣き出したんです。今まで車も電車も通っていない、高速道路の倒壊した道を必死になって歩いてきたのに、甲子園まで来たらいつもと同じ生活が広がっている。そのことがショックで涙が止まらなかったって。母と一緒に甲子園まで歩いたこと、そこで母が泣いたことは、今もピュアな原風景として私の中に焼きついています」
その後は、潮見の仮設住宅で育った。震災によって全壊した自宅は、入居間もない新築マンション。不動産争議が長引き、もう一度元の家に帰ってくるのに7年を要した。震災は、葭本未織の人格形成に多大な影響をもたらした。
「それなのに、東京の大学生は震災のことなんてほとんどもう知らない。私、誕生日のときに『おめでとう』ってお祝いされることにビックリしたんです。神戸にいたときは、とてもおおっぴらに祝える空気じゃなかったから。それくらい1月17日は、東京の若い子たちから見たら何でもない日になっていた。そんな彼らに震災のことを知ってほしくて、『聖女』では、舞台を東日本大震災で被災した仙台の松島と、大学のある池袋に置き換えることにしました」
私にとっての演劇は、自分が思う理想の社会をつくるための行為。
大学卒業後、葭本未織は少女都市を創立。旗揚げ公演で再び『聖女』を上演した。第2回公演『光の祭典』では、天才女性監督と称えられながらもプロデューサーによるレイプが原因で映画が撮れなくなった女性と、神戸出身の映画監督志望の男性の間で起きる執着と暴力を描いた。葭本未織の作品には、怒りの熱が沸々と帯びている。彼女は、いったい何に怒っているのか。
「『光の祭典』は、暴力と権力によって踏みにじられた人たちの話です。Me tooの動きを見てもわかる通り、演劇界にも権力を持った男性によって性的搾取の対象にさせられている女性たちがたくさんいる。私は、それが許せない。女性を食い物にするような演劇界を変えるには、私が力をつけるしかない。そういう怒りは、常に私の中にあります」
彼女を突き動かす怒りは、もうひとつある。『光の祭典』も、その名の通り、阪神淡路大震災以降、復興のシンボルとして地域住民に愛されたルミナリエに由来している。
「やっぱり私にとって震災は大きくて。私たちが被災したことに必然的な理由なんて何もないんですよね。あのとき、あの場所に住んでいたから、ただそれだけで。私はあの震災を通じて、何か理不尽が不幸が襲いかかったとき、誰も守ってくれはしないということを知った。行政だって助けてくれません」
弱者と強者の立ち位置なんて簡単に反転する、と彼女は言う。だからこそ、仮に弱者の立場に置かれたとき、人はどうあらねばならないのか、考えることが必要なのだと。
「ちゃんと自分が自分らしく生きるために主張をすること。泣き寝入りなんかしちゃいけない。私はここに生きているんだぞっていうことを誰に気兼ねすることもなく声高に発信しなければ、何も変えられない。私にとっての演劇は、自分が思う理想の社会をつくるための行為のひとつなんです」
光と影。信奉と狂気。葭本未織が描く、痛ましくも純粋な女たち。
『聖女』と『光の祭典』を並べてみても、葭本未織の作品にはいくつかの特徴がある。たとえば、「光」という言葉。『光の祭典』はタイトルそのものに光という言葉が冠されているし、『聖女』にはドイツ語で光を意味する「リヒト」という名の男性が登場する。
「私、中学1年のときに理科でつまずいて。その原因が光の単元だったんです。光は屈折角があって、すべてのものは光の反射によって我々の目に届いているって習ったんですけど、それがどうしても理解できなくて。私たちは光の反射によって物を知覚しているのに、私はそれをどうしても反射だと思えない。そこに認知の歪みを感じるんですね。以来、ずっと光には興味がある。今でもよくわからないから、書きたくなるんだと思います」
そんな強烈な光によって生み出される影もまた、葭本未織作品の特徴だ。『聖女』の主人公・ユリはまさに影のように生きてきた女性であり、『光の祭典』では才能を持ったまことの強烈な光によって、多くの影が浮き出される。
「『光の祭典』の中で『いつも誰かの書き割りで』っていう台詞が出てくるんですけど、私自身もずっと誰かの背景で、誰にもピントを合わせてもらえない存在だと思っていました。だから、そういう人のことを書きたくなってしまうんですよね」
影の女たちは光の女を過剰なまでに崇拝し、神格化する。そのいびつでアンバランスな力関係が物語に渦をつくる。ネットスラングによって「神」という言葉がデフレ化し、限界まで薄っぺらくなったこの現代で、デジタルネイティブの25歳が描く「神」と信者の関係は、ヒステリックで、そして生々しい。
「昔なら国民的なスターみたいなのがいたのかもしれないけれど、今はそれこそ歌い手もいればYouTuberもいる。みんなに共通する『神』なんていない。『神』が個別化された時代です。『神』は人の数だけいて、関係のない他人から見れば嘲笑の対象にもなる。でもそうやって自分だけの『神』を一心に信じている人を冷たい目で見ながら、その張本人にも自分だけの『神』がいて、それを熱烈に信奉しているという構図は、私たちの世代によく見られる特徴だと思います」
人は「神」と名づけた相手の中に勝手な像をつくり上げ、自分が思う虚像のままであることを強要する。身勝手な神への執着はやがて暴走し、狂気と倒錯を引き起こしていく。
「結局、依存したり信奉したりすることって、すごく暴力的なことなんですよね。それでも、私たちは信奉することをやめられない。その矛盾が面白くて、よくそういう関係性を作品の中に取り入れてしまうのかもしれません」
演劇の質を決めるのは、空気。観客がいて、演劇は初めて完成される。
表現手段は多様化し、創作欲求を満たすだけなら演劇以外にも様々な手段がある。それこそ演劇なんて拡散もされにくい、極めてアナログで限定的なメディア。承認欲求を満たしたいなら、もっと手軽な方法はいくらでもある。小学生の頃からパソコンにふれ、webに自作の小説を投稿していたこともあるという彼女が、なぜ自身の表現の場として演劇を選んだのか。それが知りたかった。
「演劇は、観客がいないと成り立たない芸術だから。高校生の頃、演劇の三大要素は光と暗闇と観客だって習ったんですけど、本当にその通りだなと思います。たとえば、映像は観客によって品質が変わることはない。でも、演劇は観客の態度で作品の質が左右される。観客が集中していれば俳優の集中力も上がるし、観客が集中していないと俳優の芝居にもノイズが入ります」
演劇は、観客が入って初めて演劇になる。そう彼女は口にした。
「演劇の質を決めるのは、空気なんですよ。そして、その空気をつくり出すのは観客。だから私たちがどれだけ稽古場で準備をしても、観客がいない以上、それはどこまでいっても不完全でしかない。幕が上がるまで作品の質を完璧にコントロールすることはできないんです。私はそれが面白くて、演劇を選んでいるんだと思います」
自分の話をすることに興味はない。お客さんのためにできることを一生懸命やるだけ。
搾取の話しかり、震災の話しかり、葭本未織の描く作品には、彼女の実体験――それも苦しい記憶として焼きつけられているものがベースを築いている。自らの経験を劇作に昇華することは、特に若い劇作家ほど多く見られる傾向だが、彼女の特殊なところは、自分の経験を題材にしながらも、「自分の話をすることに興味はない」と言い切るところだ。
「だって自分の話なんて書いても誰も興味ないじゃないですか。どんなことも当事者でない限り、わかり合えない。知ってほしいという気持ちが出発点ではあったけど、伝えたいことをどれだけ書いたって誰にも伝わらないということもよくわかっています」
だから、彼女のつくる演劇は、決して自分語りもなければ恨み言でもお説教でもない。極めてサービス精神旺盛な、観客への奉仕なのだ。個性の強いキャラクターも、めまぐるしい展開も、盛大なカタルシスに満ちたクライマックスも、どうすれば観客に楽しんでもらえるか、その一点を入念に考えた上での設計だ。
「私は自分のつくる作品はアートではなく、エンターテイメントだと思っています。来てくれたお客さんのためにできることを一生懸命やるだけ。あとは、お客さんが家に持ち帰って何を考えてくれるか。そこからが私の演劇の本番なんです」
そう弾むような声で、葭本未織は明るく笑ってみせた。
彼女は言った。かつての自分は「演劇を殺して私が演劇になる」と本気で思っていた、と。まだ誰にも認められていない暗黒時代の頃の話だ。演劇が私を祝福してくれないなら、そんな演劇は殺して、私が演劇になればいい。そんな殺伐とした衝動で、彼女は自分自身を駆り立てていた。
今は、どうだろう。闘争本能は、まだ相当ありそうだ。彼女はいろんなものと戦いながら表現することを探っている。でも、少なくとも「私が」が主語に置かれるだけの人間では、もうない。彼女のつくる演劇は、「社会」を変えるためにつくられていて、そこで生きる「あなた」のために贈られた物語だ。
これから葭本未織が演劇界でどう名を馳せていくのか。それはまだ未知数だ。しかし、彼女は何も恐れる様子はない。なぜならその胸には、やっと手にした自信と、強い衝動で満ち溢れているから。25歳のアジテーターは今、颯爽と旗を翻す。傷つけられた者たちが沈黙を強要された隷属の時代を終わらせるために。他の誰のものでもない、自分たちのための新しい時代を切り開くために。
取材・文:横川良明 撮影:岩田えり 舞台写真提供:少女都市

2016年、神戸。
「あの日」から21年が経った夏の東遊園を、
二つの魂が走り抜ける。
レイプが原因でカメラを持てなくなった
女流映画監督・まこと。
震災で失った父親を忘れられずにいる
駆け出しの映画青年・江上。
映画を通して惹かれあった二人の蜜月は、
突如、江上が姿を消すことで終わる。
半年後、再び現れた江上の手には、
まことを盗撮したカメラが握られていた。
暴力と権力に踏みにじられ、
誰かを傷つけることでしか
自分を癒すことのできない若者たち。
憎しみと暴力の連鎖を断ち切り、
歩み出すことはできるのか。
静謐な演技で見る者を少女都市世界へ没入させる女優・狩野陽香と、
『仮面ライダー鎧武』で人気を博した松田岳が出演する社会派サスペンス。
阪神淡路大震災を経験した作家・葭本未織が描き出す、喪失と復活の物語。
プロフィール

- 葭本未織(よしもと・みおり)
1993年1月17日生まれ。兵庫県出身。文学座附属演劇研究所本科・研修科を経て、立教大学で松田正隆に師事。処女作『聖女』で第60回岸田國士戯曲賞に推薦。その作風は「古典的な構成から展開される、単純なカタルシスに陥らない人間ドラマ」 「緻密な円環構造と、多重性の織りなす群像劇。」と評され、多数メディアから取材を受けている。

- 少女都市(しょうじょとし)
2016年旗揚げ。兵庫/東京の2都市で活動する。1年間のユニット期間を経て、2017年劇団化。
葭本未織という才能が、今、演劇界を静かにざわつかせている。処女作『聖女』で第60回岸田國士戯曲賞に推薦。これまで劇団子供鉅人、オイスターズ、FUKAIPRODUCE羽衣、コトリ会議など気鋭の団体を選出してきた「次世代応援企画 break a leg」の平成30年度参加団体にも選ばれ、一躍葭本未織と彼女が率いる少女都市という劇団の名前が、演劇界に広がりはじめている。
U-25を対象とした若手演劇人特集の第1弾は、そんな大器の予感を秘めた新鋭が登場。葭本未織 25歳の衝動を紐解く。