2017.03.17
【演劇ライナーノーツ】無駄な部分こそが、台詞における生命線。【20歳の国 竜史】


『花園RED』『花園BLUE』
年に一度のラグビーマッチ「闘球祭」を控えたとある高校生の3日間を切り取った青春群像劇。物語上、中核となる主役は存在せず、ラグビー部やバスケ部、演劇部、不良たちなど様々な視点からヒリヒリと焼けつくような心の揺れ動きが描かれる。
2013年1月、新春公演『花園』として王子小劇場にて初演。その年の王子小劇場佐藤佐吉賞・最優秀作品賞を受賞する。2015年、初演版『花園』を大幅改編した『花園Z 童貞ver.』、さらに不良グループを中心に描いた新作『花園Z 不良ver.』を2本同時上演。今回は『花園Z 童貞ver.』を『花園RED』、『花園Z 不良ver.』を『花園BLUE』と銘打ち、3度目の『花園』上演となった。
個人的な意見、と前置きした上で言うならば、劇作家・竜史の心臓は台詞にある。
力の入っていない、それでいてよく練られた口語は、高校生の日常にリアリズムを添えていたし、何より随所で放たれる、心情としての切実さと言葉としてのきらめきの両方を兼備したフレーズがいい。どちらかというと、演劇的な詩情というよりは、ドラマ的なキャッチーさの強い言葉の数々は、「売れたい、モテたい、ちやほやされたい」という非常にわかりやすい欲望を丸出しにした20歳の国のコンセプトにもよく似合っていると思う。
そんなことを、竜史さんと話してみた。
口語なのにトレンディ。だから、僕の台詞は言いにくい。

『花園』を観てて、僕は個人的にいいなと思う台詞がいっぱいあって、その台詞術みたいなところを聞きたいなあと思っているんですけど。

結構、僕の脚本ってトレンディな台詞が多くて。みなさんにもその台詞をいいよねと褒めてもらえるんですけど、ただ僕自身としては実は台詞そのものよりも、その台詞をいいねと思ってもらうための工夫の方こそが大事だと思っています。

たとえば『花園』でいうと?

たとえば、『花園BLUE』で、いじめられている小杉に対して、ラグビー部の矢口が言う「弱いのは、悪いことじゃないよ。ただ、弱いままでいるなよ」って台詞があるんですけど。一般的にこういう、いわゆるちょっとクサい台詞を書く人って、基本的には全編にわたって、ちょっとクサめなんです、台詞が(笑)。でもそれって単にいいことを言いたいだけであって、そういうのはお客さんの心にはなかなか刺さりづらいんじゃないかと僕は思います。

鼻につくというか、あざとい感じがしますね。

だから、登場人物にこういうちょっと恥ずかしい台詞を言わせて、なおかつお客さんの共感を得ようとするには、他の無駄な部分が必要なんです。

無駄というと?

無駄というと語弊があるかもしれませんが、いわゆる内容のない、日常会話的な部分ですね。この部分を口語体で書きます。
まず台詞を書くときに意識していることとして、台詞は極力短くというのが僕の中で鉄則です。たとえば仮に「今日放課後カラオケ行く?」「んーどうしよう」というやりとりがあったとします。でも、これはこのままじゃまだちょっと長くて整理されすぎている。これを「今日カラオケ行く?」「んー」「放課後」「どうしよう」くらいまで分解すると、一気にリアリティが出たりするんですよね。『花園』でも、特に前半部分はなるべくお客さんが普段から使う言葉と近しい短いやりとりでシーンを仕立てています。
そういう、内容はないけどありふれたやりとりをいっぱいしている中で、ポンッとトレンディな言葉を放り込むと、クサくなりすぎずにお客さんの心に入っていきやすい。結構恥ずかしい台詞が多いので、どのラインまでが恥ずかしくなくて、どこからが恥ずかしいのかというバランスはかなり気をつけています。

そういうバランスで今回苦心したところってありますか?

今回に限ったことではないですけど、結構、俳優から聴こえてくるんですよ。こんな恥ずかしい台詞言えないよって心の声が(笑)。確かに俳優の生理からするとやりづらいというのはとてもよくわかります。いわゆる口語演劇には、僕が書くようなトレンディな台詞ってめったに出てこないですから。
ただ、僕の考えとして、これは飲み会の会話なんかを録音してもらったらわかると思うんですけど、意外と人って自分の気づかないところでそういうトレンディな台詞を言ってるんですよ。たとえば、友達に何か相談されたときに、「お前変わった方がいいって、絶対。今日、今から」みたいなことを言ったり。これを台詞にすると、絶対人はこんなこと言わないだろうって思うんですけど。意外とね、言ってますよ、トレンディなことを、人は(笑)。

や、胸に手を当ててみれば、まあ覚えはあります(笑)。

あと、そういう恥ずかしい恥ずかしくないのギリギリのラインで書くときに意識をしているのが、書いている自分がその台詞を言うキャラクターと同じ気持ちにはならないということです。劇世界に没入して書くというタイプの劇作家もいるとは思うんですけど、どちらかと言えば僕自身としては、レシピを書いている感覚に近いところがありますね。
台詞にするのは、言いたいことじゃなく、言われたいこと。

結構客観的な感じなんですね。となると、何て言うんでしょう、この一言がなかなか書けなかったというか、よくこの一言が出せたなと思えるような台詞ってあります?

あんまりないかもしれないです。台詞自体はわりとサクッと書ける方なので。むしろだいたいいつも構成に苦心しています。
僕、演劇人で言えばロロの三浦直之さんが同学年で。あと、ちょっと年上で言えばマームとジプシーの藤田貴大さんがいるんですけど。三浦さんや藤田さんの書かれる台詞って、日常会話の延長では紡ぎえない、詩的で美しい台詞が魅力だと思うんですよね。これは僕の個人的な分析ですけど、彼らの台詞術って言いたいこと、表現したいことの具現化なんじゃないかと思うんです。
僕のトレンディな台詞は、その逆。言いたいことではなく、言われたいことを書いています。

ぜひもう少し詳しくお聞かせください。

さっきの矢口と小杉の例で言えば、そのシーンで描きたいのは、「弱いままでいるなよ」と言っている矢口の方じゃなくて、言われているいじめられっ子の小杉の方なんです。エモい台詞を言っている人は、シーンの主役ではないというのは、僕の劇作の特徴かもしれない。
『花園BLUE』の話をもう少しすると、学校に来なくなった光矢を仲間たちが心配して、カラオケボックスまでやってくるというシーンがあって。そこで光矢が本音をぶちまけるんですけど、このシーンの中でいちばんエモい台詞は、最後に東が光矢に向かって言う「お前が進めなかった間、俺らだって進めてねんだよ」という台詞。
でも、このシーンの主役はその台詞を言った東ではなくて、言われた光矢の方なんです。

本当ですね。面白い。

だから台詞を書くのに、そんなに苦労しないのかもしれない。自分が言いたいことじゃなくて、言われたいことを書いているだけなので。自分が言うわけでも思っているわけでもなく、こういうふうに悩んでいるやつにこういうこと言ったらどうなるだろうって視点で書いているから、あんまり僕自身は悩まない。それこそ、こんな恥ずかしいこと俺言えないよ、とは思わない(笑)。

そう考えると、さっき言ったレシピ的という表現もしっくり来ます。

ただ、今回は男子ばっかりでしたけど、女の子が出てくると多少事情が変わってきます。女の子は、男の子に比べると感情的な生き物だと僕は思っているので、女の子が出てくる場合、シーンの主役になっている子がカッコいい台詞を言っていることも多いです。ただ女の子の場合は、そもそも僕の性別が男で100%の感情移入ができない状態で台詞を書くので、自ずと客観性を孕んだ台詞になっているのではないかと思います。
小劇場の俳優は「主役の芝居」じゃ売れない。

という意味では、竜史くん自身が、カッコいいことをカッコよく言えない男の不器用さに親しみを感じているのかもしれない。

そうですね。『花園BLUE』のキャラクターの中で人気なのが、ちょっとバカでまっすぐな不良の江戸ちゃんなんですけど、江戸ちゃんが何で人気があるかと言うと、やっぱり途中で描かれるラグビー部の下川との関係性があるからだと思うんですね。
同じラグビー部の渡利から冷たく当たられても何も言えない下川と、しがらみなんか何にもないような江戸ちゃんという、正反対のふたりがラグビーの練習を通じて仲良くなって。「ケンカってなんでするの?」という下川の質問に対して、「俺1人の負けじゃ、ないから」って答える江戸ちゃんに、下川もお客さんも心を掴まれるわけです。
それはなぜかと言うと、多くの人が江戸ちゃんではなく、冴えない下川側の気持ちがわかる人間だから。そういう脇役の美学は、20歳の国をやりはじめた頃からずっと考えているところです。

『花園』に限らず、あえて主役不在の群像劇にこだわっていますもんね。

それは小劇場から売れるための僕なりの覚悟だと思います。
これもちょっと多くの人を敵に回す言い方かもしれないですけど、基本的に小劇場で演劇をやっている俳優の売れ方は、主役の売れ方ではない、というのが僕の持論です。自分がさも主人公やヒロインであるというような演技をされる人も一定数いると思いますけど、そこに僕はずっと違和感を持っていて。
台詞にこめられた感情と向き合って台詞を練っていくという極めて主体的な演技スタイルで売れていける人はごく少数で、それは天賦の才であり、真ん中に置くべき俳優の特権的な演技スタイルです。そうじゃない僕みたいな凡人が、それでも売れるためには、シーンや人を引き立てる演技をしていかないといけないと、僕は思います。
だから僕のつくる演劇には、主役が出てきません。自分の作品に出てくれた俳優さんたちの次の仕事につながるような、みんなが最高の脇役として売れる演劇をやっていきたいんですよね。
やっぱり僕はスターになりたい。

その流れでいくと、この『花園』プロジェクトの今後も気になるところです。ワールドカップ2019(日本開催)に向けて、毎年、『花園』の上演を行うことを公言しましたが、この『花園』プロジェクト発足にこめた想いなどあればぜひ。

まずは作品が大きくなる可能性を強く感じたというのが、プロジェクトとしてやっていこうと思った決め手です。近年流行りつつあるラグビーが題材であるというところ、あとは、いわゆるスポ根ではないけれど、エンターテイメント要素もあるというところも含めて、今までにないスポーツものとして作品が大きくなる可能性を感じることができた。この『花園』なら、もっと大きな劇場でやることだってできるだろうし、映像化だって十分あり得ると僕は個人的に思っています。
演劇は一過的なもの。一回上演すると、もうそれで終わりになってしまう。でもこの『花園』は何度も上演する価値のある作品だと自信を持っているし、僕らはこの『花園』で売れていきたい。そういう勝負をかけていこうという気持ちがあります。
あと、僕らは毎回、マニフェストを掲げているんですけど、そこで実現が難しそうなちょっとヤバいことを言っておいて、それを何とか実現するために頑張るというのが20歳の国のルールです(笑)。
次回の『花園』プロジェクトは、恐らく新作を発表します。でも、新作1本プラス再演2本じゃ奇数だし企画として普通なので、新作2本プラス再演2本の計4本で同時上演できないか考えているところです。無謀かもしれないですけど、それくらいわかりやすく他のどこもやっていないようなことをやっているヤバい軍団でありたいんです。

最終的にはやっぱり「モテたい、売れたい、ちやほやされたい」?

そこはもう絶対です。よく芸能人になりたいって掲げてますけど、それは本心です。僕はクドカン(宮藤官九郎)さんみたいに俳優でも作家でも監督でも売れたいし、スターになりたいと思っている。何一つあきらめてはいないし、そのためにまた次の作品をつくっていきたいと思っています。
「モテたい、売れたい、ちやほやされたい」というこれ以上ない原始的なスローガンに、『花園』を筆頭とする一連の青春劇。そんな事前イメージから、竜史という人を、自意識過剰な目立ちたがり屋。イマドキな言い方をするなら、ちょっとこじらせたパリピの一種なのかなと思い描いていた。
しかし、実際にやりとりをしてみた竜史さんは、徹頭徹尾礼儀正しく、そして何よりクレバーだった。冷静に物事を俯瞰する視座の高さは、ありがちな自己陶酔とは対極だったし、「国王」という肩書きや、上記のようなパブリックイメージの打ち出しにも、セルフプロデュース能力の高さがうかがえた。
一方で、そういう先入観が起因して20歳の国を観劇のラインナップから外している層が一定数いるということも、彼は十分に自覚していた。それでも選んだ結論は、「ヤバいと思われることをやり続ける」ことだし、「スターになる」こと。そのブレなさにも、頼もしさと眩しさを感じた。
だから、今あえてこの立場を利用して代弁させてもらうなら、ちょっとネガティブなイメージが先行している人も、一度、20歳の国に行ってみてほしいと僕は思う。今、竜史という演劇人は、ポストドラマとドラマの中道をタイトローパーのようなバランス感覚で突き進んでいる。それは、相反するどちらの観客層も巻き込む可能性を持った劇作家であり演出家であるということだ。
時に不遜に見える「国王」は、案外、生真面目な「革命家」なのかもしれない。
取材・文・撮影:横川良明 画像提供:20歳の国
プロフィール

- 20歳の国(はたちのくに)
2012年、「モテたい、売れたい、ちやほやされたい」という大義の下、建国。「国王」竜史が全公演のプロデュース・作・演出を手がけ、2016年劇団化。誰もが避けて通る「王道」を敢えて進み、誰もが通ってきた「青春」を物語の中心に据えながら、人間の普遍性と人生のかけがえのなさを、時にダイナミックに、時に繊細に、描いている。2014年、MITAKA“Next”Selection 15th選出。『死ぬまでに一度でいいから、ロマンス・オン・ザ・ビーチ』を上演。

- 竜史(りゅうし)
1988年3月21日生まれ。 茨城県出身。O型。早稲田大学第二文学部卒。 20歳の国のすべてを司る「国王」であり、全作品の作・演出を担当。ほぼすべての公演に俳優としても出演。いまだに「売れたい、モテたい、ちやほやされたい」という青臭い夢を、全く捨てきれない。どころか、その気持ちは年々増幅の一途を辿っている。 チョコレートを好む。 2013年佐藤佐吉演劇賞・優秀脚本賞・優秀演出賞受賞。
『花園RED』『花園BLUE』を終えたばかりの20歳の国 国王の竜史さんに、作品についていろいろと振り返っていただきましたが、今回が最終回。鬱屈としていて、明確な出口のない青春を送る男子高生の心象をリアルに表した珠玉の台詞群について、その心得を語ってもらいました。