2017.09.15
演劇がなければ死ぬというタイプじゃない。賞レースを席巻する“演技マシーン”が明かした「演劇は趣味」という独自のスタンス。【あやめ十八番 金子侑加】

自他共に認めるオタク女子。今も昔も大好きなのは漫画だった。
「オタクなんです、私」
そう明るく笑って、金子侑加は自己紹介をした。社長秘書のキャリアを持つ金子は、いわゆる「演劇人」的な偏屈さが一切ない。柔らかい物腰に、知性を感じる言葉選び。そのまま丸の内を歩いていても、誰も怪訝に思う者はいないだろう。そんな彼女の口から出た「オタク」という言葉は、いささか不似合いに思えた。
「最初にハマッたのは『烈火の炎』。それから、私の中で歴代トップを飾ってきたのは『神風怪盗ジャンヌ』に『犬夜叉』、『テニスの王子様』…。もちろん小さい頃の夢は絶対に漫画家でした。自分でも描いてましたよ、オリジナルの恋愛ストーリーで(笑)。きっと実家に帰ったら今も残っていると思います」
大好きな漫画のことになると、途端に声のトーンが一段明るくなる。中学進学にあたって私立の女子校を選んだのも自分の意志。理由は「男の子が嫌いだった」のと、当時流行していた『マリア様がみてる』というアニメの影響から。ノーブルな制服を身にまとった女学園に憧れて、自ら女子校を志望した。
「私自身は決してお嬢様というわけではなく、家はごく普通の一般家庭だったと思います。ひとつはっきりしているのは、とにかく両親が放任主義で、何でも自分で決めさせてくれたこと。それこそ小さい頃はバレエにピアノ、歌、スイミング、絵、習字、塾と毎日習いごとでしたが、どれも自分がやりたいと思って始めたものばかり。おかげで、自分のことは自分で決めるという癖は自然と身についた気がします」
夢中になった高校演劇。だけど将来演劇を続けようなんて気持ちはまったくなかった。
金子が選んだ中高一貫のカトリック系女子校は、上級生のことを「お姉さん」と呼ぶような、まさに『マリア様がみてる』を地でいく世界。そこで金子は当初テニス部への入部を考えていた。もちろん、きっかけは漫画から。『エースをねらえ!』を読んで、あんなふうにテニスコートで青春の日々を過ごす自分を想像していたのだ。
それが、何となく見ていた新入生向けの部活紹介で一変する。舞台用の衣装をまとって登場した演劇部の先輩たちに、金子の心はたちまち掴まれた。華やかなドレスに、凜々しい男役の先輩。「オタク」を自認する少女にとっては、もうたまらない夢の楽園だった。金子は迷うことなく演劇部へ入部。バイブルは『エースをねらえ!』から『ガラスの仮面』に切り替わった。
「演劇部は楽しかったですね。私の学校は校則が厳しくて、染髪もメイクもNG。でも、公演の日だけは特別に許してもらえるんです。演技がどうこうというよりも、その頃の私には、そういうことが何だかとても楽しかった気がします」
ちょっとした憧れから始まった演劇部の生活は、高校進学後も継続となり、高2の引退までの5年間、思い出のアルバムは演劇部でいっぱいになった。
「楽しかったという意味では、演劇人生の中でいちばん高校生の頃が楽しかったかもしれない。うちの学校は進学校ということもあって、それまで演劇の大会にエントリーしたことがなかったんです。それがちょうど私のふたつ上の先輩から大会に参加するようになって。だけど、まだ何のノウハウもないから1年生のときは地区大会で敗退。私たちはそれが悔しくって、どうしたらもっと上の大会に行けるんだろうって、あれこれ研究を重ねました」
その結果、2年生では地区大会を通過。それどころか勢いそのまま県大会を突破し、中国大会にまで進出した。
「うちの部では、いわゆる演出というポジションを設けていなくて、みんなで一緒に話し合ってお芝居をつくっていこうというスタイルなんですね。それも楽しかった理由のひとつかも。受験勉強があるから部活は2年で引退でしたけど、何も思い残すことなく、満足して終えることができました」
演劇で身を立てていこうという発想は毛頭なかった。早稲田大学に進学した金子は、興味半分で演劇サークルを覗いてみた。しかし、性に合わず入部を見送り、法律サークルへ。夏は海、冬はスノーボードという典型的なイベントサークルだったが、そんな普通の毎日が楽しかった。友人の誘いもあって、たまに学内の学生劇団に足を運ぶことこそあったものの、舞台に立つ人たちを見て羨ましいと思うこともなければ、ましてや自分がやりたいと臍をかむことなど一切なかった。完全に別の世界のことだったのだ、演劇は。
大学卒業と共に演劇を卒業。順風満帆だった会社員生活。
が、金子はやがて再び演劇の世界に舞い戻ることとなる。しかしそれは断じて表現欲求に駆られたから、などといった衝動的な理由ではない。
「友達に誘われたんです。自分で劇団を旗揚げした友達がいて、女子だけの芝居をやるのに人数が足りないから出ないかって。ちょうどその頃、私は大学3年生。いわゆるキャンパスライフというものにもそろそろ飽き始めていた頃だった。それで、別に出てもいいかなっていうくらいの軽い興味でもう一度演劇を始めました」
高校以来の演劇の世界。久々の舞台の快感にすっかり虜になり、以来、空白の時間を埋めるように立て続けに舞台に出演…というわけでもやはりなかった。
「やってみたら高校のときと勝手が違うところもいっぱいあって。楽しいとは思ったけど、つまらないなと感じた部分もあった。そこから舞台に立っている私を観てオファーをくれた団体にポツポツと出演させてもらいましたが、演劇で食べていこうなんて考えはゼロ。普通に就職して、普通にきっぱり演劇から足を洗いました」
そう、一向にして金子侑加が舞台女優として開眼する時期はやってこなかった。就職先は、住宅メーカー。金子は入社1年目で好セールスを記録し、新人賞を受賞。期待の若手として社内から注目を集めるまでに上りつめた。
どうせ死ぬなら、もっと演劇がやりたかった。初めて気づいた演劇へのシンプルな情熱。
ところが、ここで彼女は意外な行動に出る。それだけの成績を残しながら1年足らずで会社を退職したのだ。
「会社を辞めたきっかけは、マヤ暦です」
さも当然のような顔をして、そんな調子っ外れなことを金子は語りはじめた。
「辞めたひとつの理由は仕事が楽しくなかったから。向いてなかったんです、営業に。結果が出なくてつまらないなら頑張る余地はあるけれど、結果が出ているのにつまらないんだから、もう手の施しようがない。蕁麻疹が出たり、何も食べられなくなったり、身体に支障をきたしはじめていたので、スパッと退職しました」
そう前置きした上で本題に入る。
「マヤ暦によると、2012年12月に人類は滅亡すると言われていて。私、本気でそれを信じていたんです。ああ、こんなことで死ぬくらいだったら、もっと好きなことをすれば良かったって後悔して、そのときにパッと浮かんだのが演劇だった。自分でも信じられないけど、なぜかもっと演劇をすれば良かったって思ったんです。結局人類は滅亡しなかったけど、私は年が明けてすぐに会社を辞めて、演劇の世界に戻ることにしました」
ぶっ飛んだことを、さも真剣に打ち明ける。そんなところに、常識人らしい金子侑加のズレたおかしさを見た。重ねて確認するが、決して演劇がなければ人生じゃない、という中毒型のタイプではない。演劇よりも楽しいことはいっぱいあったし、演劇よりも大切なものはいっぱいあると思っていた。それでも、人類滅亡を本気で考えた瞬間、真っ先に浮かんだのは、もっと演劇がやりたかったという想いだった。
「自分でも意外でした。私は自分で自分のことをそこまで演劇がやりたい人間だと思っていなかったから。でも今考えれば潜在意識ではずっと夢見ていたのかも。就職を選んだのも、心の底では演劇を続けたいと思っていたけれど、将来それで食べていけるわけでもないしって自分で悟って勝手に蓋をしていただけなのかもしれません」
見返したくて受けたオーディション。そこで、堀越涼という才能と出会った。
かくしてトップセールスの座を捨て、金子の演劇活動は再開した。昼はIT企業で社長秘書。夜は舞台の稽古、という毎日。再就職先を選ぶときも、公演前は有休を取れることが大前提だった。だが、それでもあくまで「演劇は趣味」でしかなかった。その証拠に、出演先はオファーを受けたところだけ。自分から新たに人脈を開拓しようという気はまるでなかった。そんな居心地の良い「温室」から金子が外へ飛び出すことになったのは、ある一言がきっかけだった。
「立て続けに何人かの演劇人から『君はこの先、どうするの?』って聞かれたんです。『君みたいな若い20代の女優はいっぱいいる。その中で君は特徴もないし、この先どうするつもりなの?』って。私、何だかそれにものすごくカチンと来て。だったらやってやろうじゃないかって、当時オーディションを開催している団体を片っ端から調べたんです。そのひとつが、あやめ十八番のワークショップオーディション。そこで、初めて堀越涼に出会いました」
当時の堀越の印象を聞くと、金子は「金髪の兄(あん)ちゃんでした」とケラケラと笑う。ひと目見て、自分と馬が合うタイプとは思えなかった。けれど、演出を受けると、不思議としっくり来た。お互いに共鳴するものがあったのだろう。金子はオーディションに合格し、『江戸系 諏訪御寮』という作品でキーパーソンとなる長女・琴美役を射止めた。堀越涼との作品づくりを、金子はこう述懐する。
「私って頭でっかちなんですよ。演技はロジックありき。ロジックを捨てて感情でやるというお芝居が苦手なんです。対する堀越さんは、今でこそいろいろ変わっているところはありますが、当時はアウトプットさえしっかりしていれば、背景を必要としないタイプの演出家。ディレクションも『もっと感情を出して』という抽象的なものではなくて、『そこでもうひと間空けて』とすごく具体的。それが頭でっかちの私には合っていたんです。現場でも、まずは堀越さんがすべての役を演じてみせて、それを俳優たちが真似していくというスタイル。私も堀越さんの演技を録音したものを何度も聞いて、忠実にそれを再現していました。だからかな、すごくやりやすかった。初めてなのに、堀越さんの演出はとてもわかりやすかったんです」
そして入団へ。劇団員の特権は、その団体の作品に出続ける権利を得られること。
演出家と俳優には、相性というものが必ずある。ふたりのそれはぴたりとハマった。金子の演技は観客のみならず劇評家からも高く評価され、CoRich舞台芸術まつり!2014春で俳優賞を獲得。「演劇は趣味」と公言してはばからない金子にとっては、青天の霹靂としか言いようのない報せだった。
当時の受賞に際し、堀越涼はこんなコメントを寄せている。(※ねこちゃんとは、金子の愛称)
「ねこちゃんと初めて会ったのは、『江戸系 諏訪御寮』のワークショップオーディションの時でした。審査会場となった稽古場に入ってきた時、貴方の芝居を初めて見た時、僕は机の下で密かに拳を握りました。この人の為に、お芝居が一本書けるだろう。他の誰にも知られていない、僕だけの確信でした。
無名の、一俳優が主宰する、小さな小さなユニットのオーディションに来てくれて、本当にありがとう。
ほらな。獲ったぞ、俳優賞。必ず獲るって、信じてたよ。審査員の皆様、金子侑加を見つけてくださって、本当にありがとうございました。 ねこちゃん、受賞おめでとう。僕達、ここから、始まって行こう。」
演出家からの、これ以上ない愛の言葉だった。当時の金子は、初めてあやめ十八番に参加した、いち客演でしかない。だが、堀越の言葉は、すでにはっきりと未来を見据えていた。事実、その宣言通り、ふたりの歴史はここから始まっていく。以降、金子侑加はあやめ十八番の作品に欠かさず出演。2015年には堀越から直々に誘いを受け、劇団員となった。堀越は金子に声をかけた理由を「こんな女優は二度と現れない。こいつをおさえないでどうするっていう気持ちだった」と包み隠さず白状する。
一方で、フリーの役者にとって劇団員となることは決してメリットばかりではない。雑多な劇団業務を担うことも増え、俳優業一本に専念しづらくなるのが現実だ。金子もそれを認めた上で、しかし劇団員の誘いを断る理由はひとつとしてなかった。
「どうしてかと言うと、堀越さんの脚本が面白かったから。劇団員のいちばんの特権は、その団体の作品に出続けられる権利を得られること。私はあやめ十八番という団体がとにかく面白いと思っていたし、これからもずっと堀越さんの脚本でお芝居がしたかった。だから、劇団員になることに迷う気持ちはありませんでした」
たぶんもう外に出ることはあまりないと思う。人生の岐路に立った今、漏らした本音。
そうして、あやめ十八番は着実にその規模を拡大させていった。東京の小劇場には、劇場が主催する賞レースがいくつかある。その中で有名なのが、佐藤佐吉賞とサンモールスタジオ選定各賞だが、2016年度佐藤佐吉賞で『雑種 花月夜』が最優秀作品賞を獲得。堀越は優秀演出賞、金子は優秀主演女優賞に輝いた。2016年度サンモールスタジオ選定各賞では、堀越は最優秀演出賞を、金子は最優秀女優賞を戴冠。ふたり揃って受賞ラッシュの1年を送った。
だが一方で、高まる名声と反比例するように、金子の活動ペースはシュリンクしつつある。2017年の出演は、現時点で劇団本公演『ダズリング=デビュタント』のみ。そこには、「演劇は趣味」と公言する金子の女優としてのスタンスが垣間見えた。
「こんな場で言っていいことかわかりませんが、恐らくもう外の団体にはそれほど出ることはないと思います」
控えめに、そう宣言した。
「私がこれからも出続けるのは、たぶんあやめ十八番だけ。あやめ十八番だけは何があってもずっと出続けたい。今は、そういう気持ちです」
もともと「演劇=人生」というタイプではなかった。舞台に立つことだけが自分の存在証明なのだという業深き女優ではない。人生には大事なものがたくさんある。自分のライフスタイルを見つめながら取捨選択していったとき、どうしても絶対に捨てられないカードは「演劇」ではなく、「あやめ十八番」だった。だから、あやめ十八番の公演には出続ける。けれど、積極的に演劇活動を広げていくかと言えば、そうとは言えない。微妙な距離感で、今、金子は女優という役割と向き合っている。
堀越涼の書く台詞を言いたい。金子侑加が、それでも女優を続けるたったひとつの理由。
「結局、私は堀越さんの書く脚本が好きで仕方ないんです。そのドキドキは、オタク少女だった頃と何も変わらない。堀越さんの書いた台詞を言ってみたいと思うし、口にするだけでたまらなくなるんです」
そう。今にも切れそうな金子侑加の女優の生命線を、それでも未来へとしぶとく延長させているのは、他ならぬ主宰・堀越涼の耽美な台詞と、唯一無二の世界観なのだ。堀越涼という才能が、金子侑加という才能を、女優にさせている。それは、とても因果な縁に見えた。
「だから劇団員になって良かったなと思うことのひとつは、堀越さんの脚本を誰より先に読めること。客演さんよりも先に劇団員にだけ脚本が送られてくるんです。新しい脚本が送られてくるたび、いつもドキドキしながら読んでいます。たぶん堀越さんの脚本を誰よりも楽しみにしているのは私だと思う」
そう魅惑的に笑った。
他の俳優たちが羨むような技術と才能を持ちながら、拍子抜けするほど無欲でマイペース。強がりでも見せかけでもなく、恐らく本当に彼女は、演劇と心中してやるとか、演劇がないと生きていけないとか、そういう修羅場めいた妄執とは無縁の人間なのだろう。彼女を女優にさせるのは、堀越涼だけ。ある意味では、最も劇団員らしい劇団員と言えるのかもしれない。
「なりたい女優像ですか? そうだなあ、観たことないけど名前はよく聞く、そんな女優になりたいですね。何かいろいろ賞獲ってるし、いい女優らしいけど、実際に観たことはない、くらいにとどめておくのがちょうどいいです。いい女優らしいよって噂だけがひとり歩きしてるような、そういうのが理想ですね」
おかしそうに笑って、最後にこう付け加えた。
「女優・金子侑加が観られるのはあやめ十八番だけ。だから、あやめ十八番を観に来てください」
ちゃっかり宣伝文句を添えて、彼女はインタビューを締め括った。一本とられたようで、それは何だかとても清々しい幕切れだった。品があって、聡明で、けれどどこかズレている。やっぱり掴み所のない女性だ。でも、そんな掴めないところがあるから、彼女はいい女優なのかもしれない。舞台に立つ者は、実像が掴めないくらいがちょうどいい。掴んだと思ったら、たちまちに霧散する、そんなあやふやな幻影の果てに、観客はまだ知らない物語を見ることとなるのだから。
取材・文・撮影:横川良明 画像提供:金子侑加
“演技マシーン”――畏敬の念を込め、主宰の堀越涼は彼女のことをこう呼ぶ。Corich舞台芸術まつり2014春 俳優賞受賞。2016年度サンモールスタジオ選定賞 最優秀女優賞受賞など、その実力は業界でも折り紙付き。だが、本人はいたってサバサバとした口調で「演劇は趣味」と言い切る。あやめ十八番の金子侑加は、そんな掴み所のない女性だった。
品があって、聡明で、けれどどこかズレている。華やかな顔立ちとは裏腹に、いわゆる「美人女優」と一括りにはできない不思議な妙味があった。人生を投げ打って演劇にすべてを捧げるというタイプではない。だけど、趣味だからと言って遊び半分なわけでももちろんない。独特の距離感で「演劇」と向き合う彼女の歩みに光を当ててみた。