2016.11.26

櫻井さんがつまらないホンを書いてきたら解散だと思う。絶対的才能に惚れこんだデタラメで幸福な劇団員人生。【MCR おがわじゅんや】

櫻井さんがつまらないホンを書いてきたら解散だと思う。絶対的才能に惚れこんだデタラメで幸福な劇団員人生。【MCR おがわじゅんや】

劇団員、というのは不思議な存在だ。そもそも小劇場で活動する劇団の多くが、あるひとつの才能に磁石のように吸い寄せられて成立している。そういう意味では、この人も櫻井智也という才能に魅入られ、こうして20年以上、小劇場の世界に身を置いているのかもしれない。
「櫻井さんに出会わなければ、普通の会社に入って、そこそこ出世してたと思いますよ」とは本人の弁。そんな自虐ネタに、四半世紀の絆がにじみ出ている。MCR旗揚げメンバーにして、主宰である櫻井智也の盟友・おがわじゅんや。これは、そんなおがわと櫻井、そして同じく旗揚げメンバーの北島広貴という男3人の友情物語だ。

変人ばかりの専門学校。その中でひと際面白い存在が、櫻井さんだった。

「自分なんかでいいんですかねえ」

取材中、おがわじゅんやはそうしきりに尋ねた。見るからに人の良さそうな目尻の皺を一層深く目元に浮かべて、照れ臭そうに質問に答えていく。その様子だけで、ああ、この人はとてもいい人なんだろうなということがわかる。事実、おがわじゅんやは20年以上にわたって気性の荒い主宰をうまくなだめながら、客演を含む俳優陣を束ねてきた。

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「昔から空気を読むのは得意なんですよ。それだけは並外れた能力があると言うか、むしろその力だけで何とかやってきたと言ってもいいかもしれない(笑)。台本を書いてる間は基本櫻井さんは稽古場には来ないんだけど、たまにね、台本に追われながらムスッとした顔で入ってくることがあるの。そのときは、“ムスッとしたいのはこっちだよ。早く台本渡せ”なんて茶化して、空気をにこやかにしたり」

そう饒舌に櫻井とのエピソードを語っていく。

「ダメ出しもたまにアホほど怖いときがある、いきなり靴投げたりとか。そうすると空気が悪くなるから、次の稽古に入っていけないんです。そこで空気を入れ替えるのが俺の役目。よく昔は“櫻井さん怒ったね~、蜷川の霊が降りてきたね~”とか言って(笑)。櫻井さんって人見知りだし見た目が怖いから、客演の人も話しかけたいけど、なかなか話しかけにくいんですよね。代わりに櫻井さんの面白さを伝えて、間を取り持つのが自分の仕事なのかなという意識はあります」

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近づけば噛みつく野犬のようないでたちをして、甘えるのが下手で不器用な無頼漢。そんな櫻井のことをよく知るおがわだからこそ、その目線は友達のようであり、パートナーのようでもあり、時に手のかかる子の世話を焼く親のようでもある。

「これでも高校の頃までは俺も周囲から“おかしい”って言われてたんですよ。でも、専門学校に入ったら変な人ばっかりで、俺がマトモな人に見えた。その中心にいたのが、櫻井さん。櫻井さんは、俺がそれまで出会ってきた中でもトップクラスで面白い人でした」

四半世紀を過ぎても色褪せぬ記憶。ふたりをつないだピンク色の検尿。

昔から目立つのは好きだった。高校の文化祭でもクラス演劇で堂々主役を張った。後日、廊下ですれ違うたびに知らない誰かに声をかけられたり、先輩から「面白かった」と言ってもらえるのが、たまらなく気持ち良かった。そんな役者の快感に味をしめたおがわは、こういうことを仕事にできればと演劇系の専門学校に進学。そこで、櫻井智也と知り合った。

「入学2日目にレクリエーションとしてクラスで秩父に旅行に行ったんですよ。そのとき、テレビで相撲がやってて。俺、貴闘力が好きで熱心に観てたら、櫻井さんの方から“おがわくんも貴闘力好きなの?”って話しかけてくれて。それがいちばん最初。なぜか今でもそのときのことは鮮明に覚えているんですよね」

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さらにその翌日、健康診断があった。しかし、諸々の思い違いが重なって、おがわは指定の時刻と大幅に異なる時間帯に会場に着いてしまった。ひとり診断を受けられるかポツンと待っていると、そこに見覚えのある人影がやってきた。それが、櫻井だった。

「櫻井さんも俺と同じ間違いをして、全然違う時間帯に来ちゃったんです。で、ふたりで一緒に診断を受けることになったんですけど、櫻井さんが俺の検尿の色がピンクなのを見てビックリして、“ヤバいよ、おがわくん。これ、絶対何かの病気だよ”とか言い出すから、何か俺もパニックになっちゃって。検査の先生が“大丈夫です”って言ってるのに、“いや、でも櫻井くんが病気だって言うんで病気だと思うんです。もう一回調べてください”ってワケのわからないことを言ってました(笑)」

共に過ごした青春時代。一緒に無茶をすることが何よりも楽しかった。

櫻井との思い出を数え上げたらキリがない。

「酔っ払うとムチャクチャでね、よく櫻井さんにTシャツを破かれてました。また櫻井さんがTシャツ破るのが上手いんですよ。煙草で穴をあけて、そこからビリビリって引き裂くんです。だから飲み会のときは毎回替えのTシャツを持参してました(笑)」

もともと自分も前に出るのが好きな性格だ。まだ自尊感情も強い年頃に、自分よりも圧倒的な才能を持った人間に出くわして、悔しさや引け目を感じることはなかったのだろうか。そう尋ねると、「負けたくないって気持ちはありました」と認めて、こう続けた。

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「だからこそ、櫻井さんに面白いって思われたら嬉しいなと思っていた。櫻井さんは何かカッコ良かったんですよね。別に顔とか全然カッコ良くないんですけど(笑)。カリスマ性があって、笑いのセンスがあって、いつも一緒に遊んでた。専門学校にいる2年間は、櫻井さんをどうやったら笑わせられるかってことだけを考えて生活していた気がします」

それは、少なからず共感できる感情のように思えた。自分には手の届かないカリスマに憧れて、認められたくて、必死に背伸びをする。おがわじゅんやの青春には、いつも櫻井智也がセンターポジションを占めていたのだ。

卓越した言語感覚。自分は、「櫻井智也」という才能の第一発見者だった。

だから、櫻井、北島の3人と劇団を結成するのも自然な流れだった。と言っても演劇でひと旗揚げてやろうというつもりは毛頭なかった。むしろ、どこか遊びに出かけたり、居酒屋で飲んだり、最初はそんな青春の延長線に近かったのかもしれない。だが、おがわと北島の2人だけは早い段階からあることに気がついていた。それが、櫻井智也の脚本家としての天賦の才だ。

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「櫻井さんは言葉選びが秀逸なんですよ。身近でこんなに言葉のセンスがあるやりとりを書ける人がいるってことにビックリした。それはもう1回目の公演のときから十分に感じてましたね」

そこから徐々にMCRとしての活動にのめりこんでいった。とは言え、小劇場の慣習などまるで知らない素人集団が立ち上げた劇団だ。制作もいないし、はっきりとした戦略もない。ただ場当たり的に公演を重ねる時期が長く続いた。

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「劇場のことなんて何も知らなくて。第3回公演のときかな、シアターアプル(2008年に閉館。客席数約700)に電話して『1ヶ月後なんですけど空いてますか』って聞いたことがあるくらい(笑)。本当、メチャクチャでした。最初の7~8年は劇団の真似事みたいな感じですね。借りてる小屋も劇場とは呼べないようなところで、小屋入りして最初にやるのは袖幕がどこにしまっているかを探すことっていうような、そういう場所でずっと芝居をやってました」

評判は、悪くなかった。むしろ観客から「面白いのに何で売れないんだ」と不思議がられるほどだった。制作を入れ、劇団としての体制を整え出したのは、3人が30歳を迎える頃から。以降、じわじわと小劇場ファンの間でMCRの名前が浸透。集客も徐々に伸びはじめるようになった。

面白いと思える劇作家と出会えたこと。その幸と不幸のすべて。

「役者としては幸せだと思うんですよ。櫻井さんの台本で面白いことができるんで」

櫻井と出会ったことについて問うと、おがわはしみじみとした表情を浮かべた。

「俺自身は別に演技が上手いわけでもない。だけど、櫻井さんの友達だから、わざわざオーディションを受けなくても、年2回はこうして櫻井さんの芝居に出られるわけでしょ。他にもいっぱい櫻井さんの芝居に出たいって役者はいるだろうから、それはまあ恵まれているなあとは思います」

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そう噛みしめる一方で、「でも」とまったく別の感慨を口にした。

「櫻井さんのホンに出会わなければ、役者としてはもっとストイックだったかもしれない。面白い芝居に出るためには、自分の演技を磨いたりWSに出たり、そういうことを甲斐甲斐しくやらなきゃいけないわけじゃないですか。でも、俺は面白い芝居に出られる条件が揃ってたので、そのへんの努力は怠りましたよね、正直に言えば」

櫻井さんの持ってきたオモチャでどれだけ遊べるか。それが、MCRの演劇。

結成から20年以上過ぎた。キャリアで言えば、もう十分にベテランに分類される域には来ただろう。しかし、おがわ自身は今をもって「MCRに関して言えば、芝居をしているという感覚はない」と打ち明ける。

「櫻井さんの持ってきたオモチャで、みんなでどれだけ遊べるか。っていうことをやっているだけな気がしてるんですよね。この年になると、3人で遊ぶことってもうない。だから、年2回の公演が、櫻井さんの持ってきた道具で一緒に遊べる時間だと思っているんです。って言ったら“もっと頑張れよ”って櫻井さんに怒られるかもしれないけど(笑)」

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そう、40を過ぎた今もなお、櫻井、おがわ、北島の3人は「友達」なのだ。劇団員でも、仕事仲間でもなく、とびきり馬の合う「友達」。金なんてこれっぽちもないけれど、時間だけはいくらでもあった専門学生時代とまったく変わらない感覚で、彼らは無邪気なバカ騒ぎを繰り返しているのだ、劇場という最高の遊び場で。

櫻井智也を笑わせること。その予想を上回ること。すべてがただ嬉しかった。

「今でも覚えていることがあるんですよ。27、8だったかなあ。その頃、毎年、みんなで旅行に行ってて。その年も公演終わりの次の日にみんなで千葉まで海に行くことになってました。俺はバイトが入ってたんで、“さすがに行けない”って断ったんですけど、櫻井さんは“お前は絶対来る。宿だけ取っておくから、来なかったら後で金だけ頂戴”って言い張って(笑)。俺、そのときは本当に行かないつもりだったんです」

待ち合わせ場所は、早朝の中野。そこからみんなで車に乗って海を目指す手はずだった。旅行当日、櫻井たちはおがわが照れ笑いを浮かべながら来るのを今か今かと待っていた。しかし、約束の時刻になってもおがわは姿を現さない。さすがにもう無茶をできる年齢じゃないか。そう淋しそうに肩を落とし、櫻井たちは車に乗りこんだ。

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ところが、おがわはそのとき、櫻井たちの予想を上回る行動に出ていた。

「ちょうどその前の年かな。みんなで同じように海に行って。そのとき、俺がそこらへんに落ちてた棒切れを拾って、“日本の夜明けは近いぜよ”って坂本龍馬の真似をしたら、それが妙にウケて、坂本龍馬ごっこがちょっとした流行りになったんですよ(笑)。何かそれを思い出して、急遽バイトを休んで、前日に新宿のドンキで刀と着物を買って。そこらへんの漫喫に泊まって、次の日の始発で千葉まで向かいました」

長年、身体に沁みついた悪友の血が騒いだのだろう。こんな楽しいお祭り騒ぎに、自分だけ乗らないわけにはいかなかった。目的地の最寄駅まで着いたおがわはタクシーに飛び乗り現地の海岸へ向かった。

「結局、櫻井さんたちより先に着いちゃって(笑)。ひとり浜辺で坂本龍馬の恰好をしてみんなが来るのを待ってたんです。そしたら、俺を見つけた櫻井さんがめちゃくちゃ喜んでくれて。何かね、駆け寄ってくる櫻井さんを見て、俺まで嬉しくなっちゃいました」

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そう楽しそうに話すおがわを見て、何だか涙が出そうになった。きっと、劇団というものは、そんなふうにして年月を重ねて、厚みを増していくのかもしれない。

採算だけを考えれば、こんなに非合理的なことはない。歳月を経るごとに、お互いの間に才能や人気、向上心や目標など、いろんな面で差が生まれてくる。それでも、共に歩み続けること。歩み続けることを選ぶこと。MCRの芝居が、ぶっきらぼうな中に温かさを秘めているのは、こんなところに理由があるのかもしれない。

櫻井さんがつまらないホンを書いたら真っ先に指摘するのが俺たちの役目。

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だが、どんな劇団にもいつか終わりのときがやってくる。どれだけ強い結束力があるように見えても、解散の二文字を考えたことがないという劇団はごくわずかだろう。おがわも「こんだけ売れないんだから早く解散しないかなとはいつも思ってます」と笑い飛ばす。

「櫻井さんは“北島さんが解散するって言ったら解散する”って言ってて、北島さんは“おがわさんが解散するって言ったら解散する“って言ってて、俺は“櫻井さんが解散するって言ったら解散する”って言ってるんです。もう三つ巴。だからいつまで経っても辞められない(笑)」

一心同体とは言わない。けれど、もうこの3人は互いの骨を拾い合うような、一蓮托生の間柄なのかもしれない。

ただひとつ、おがわと北島の間で、“このときが来たらMCRを辞める”と心に決めていることがある。

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「櫻井さんがつまらない台本を書いてきたら、そのときは解散かもしれないですね。だから、櫻井さんのホンがつまらなかったらつまらないと真っ先に言ってあげるのが俺たちの役目。たぶん櫻井さんも俺と北島さんに台本を見せるのがいちばん緊張してるんじゃないかと思う。そのせいか台本の仕上がりが年々遅くなってるんですけど(笑)」

櫻井智也という才能に惚れて、ここまでやってきた。だからもしその才能が枯渇するときがやってきたなら、引導を渡してやるのは自分たちしかいない。それこそが、劇団員の使命だ。旗揚げを共にした3人の絆の証だ。逆に言えば、櫻井智也が面白いホンを書き続ける限り、MCRは終わらない。

「80歳でヨボヨボになっても、この3人でやってたら面白いですよね」

そうまたひとつ面白い遊びを思いついたような顔で、おがわは言った。それは、何だかとても輝かしい光景に思えた。きっと彼らは劇場という場所でこれからも悪ふざけを続けていくことだろう。18で出会ったあの頃と何も変わらないバカさ加減で。

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取材・文・撮影:横川良明   画像提供:おがわじゅんや

プロフィール

おがわじゅんや

1973年11月12日生まれ。東京都出身。演劇系の専門学校を経て、1994年、同期の櫻井智也、北島広貴と共にMCRを結成。以降、MCRのほぼすべての公演に出演している。その他、外部客演作品にYOSHIRO銀河冒険団『ヨシロー、銀河に消ゆ』、あひるなんちゃらの関村俊介が短編集をやるのを味わい堂々の浅野千鶴が見守る企画『メロテスカー、他』、青春事情『NO GOAL -HOMELESS WORLDCUP-』など。