2016.08.25
いつ演劇を辞めてもいいと思っている。35歳・イクメン俳優の現在地。【おぼんろ 高橋倫平】

35歳・2児の父が秘める、ひそかな決断。
目が痛くなるほどのド派手な髪。金色というよりも、黄色と表現した方が正しいだろう。折り紙のようなクッキリとしたその黄色の髪は、待ち合わせの駅の改札でもひときわ目立っていた。つい先日、劇団としては1年ぶりの本公演『ルドベルの両翼』を終えたばかり。絵本のようなファンタジーの世界から帰ってきた35歳は、現実世界でも異国の地をめぐるあてどなき旅人のようだ。
「いつも髪は自分で切ります。いかに家計に影響を与えずに生活をするかが大事なんで。この髪はちゃんと知人のお店でやってもらいましたけど(笑)」
ワインレッド色の細い眼鏡フレームの奥に隠したその目は、笑うと一層細くなる。いたずらっ子の面影を色濃く残した倫平だが、家に帰れば最愛の妻とふたりの息子が待つ生活だ。公演がないときは、ごく普通に社会で働くお父さん。決してもう夢見るファンタジーの住人ではない。
「俺は今すぐもう演劇を辞めてもいいと思っているんです」
取材用のICレコーダーをまわして間もなく、何でもないことのようにそう宣言した。深刻さは、微塵もない。「ガッカリするでしょ?」とおかしそうに笑った。小劇場では異色のイクメン俳優は今、間違いなく人生の岐路に立っている。
芝居漬けだった高校時代。青春のすべてを演劇に捧げた。
子ども時代の倫平は、わんぱく少年を絵に描いたような男の子だった。物心ついたときから冒険が大好き。『グーニーズ』に憧れ、『スタンド・バイ・ミー』に胸をはやらせた。映画を真似て線路の上を歩いたり、地元の廃工場に友達と忍びこんだり。宝の地図なんてなかったけれど、好奇心旺盛な少年にとって街のすべてが宝島だった。
初めて舞台に立ったのは、中学校のクラス劇。当時、大流行していた推理漫画を勝手に演劇にして、主人公の探偵を演じた。目立ちたがり屋なのは生まれつき。舞台で拍手を浴びる快感を覚え、演劇に対する興味が生まれた。
高校進学後、演劇部へ入部。寝ても醒めても演劇のことしか考えられない、芝居漬けの3年間を送った。演劇部宛てに届く招待状は毎回争奪戦。好きな劇団に、自らバラシや仕込みの手伝いを申し出ることもあった。
「惑星ピスタチオにランニングシアターダッシュ。たぶん当時は同世代のどの高校生よりもよく芝居を観てたんじゃないかな。あの頃はもう自分も役者になるんだって思ってて、そこにためらいはまったくなかったですね」
つまらない芝居が多すぎる。小さな失意はやがて大きな絶望へ。
卒業後は桐朋学園芸術短期大学演劇専攻へ。この頃から少しずつ倫平は周囲とのギャップを感じはじめる。演劇しかない人間と、演劇以外にも楽しみがある人間。2種類で分けるなら、自分は間違いなく後者だと気づいた。もともと好奇心旺盛な性格だ。広く世界に目を向ければ、興味の対象は尽きない。稽古場だけが居場所のような同級生とは熱の種類が違った。
それでも卒業後は演劇の道へ。劇団や事務所に所属せず、年5~6本の舞台をこなした。フリーを選んだのは、自由でいたかったから。劇団に入れば、劇団員として芝居以外の面倒な作業や責任が発生する。そんなものに囚われるのは、主義に合わない。旅を愛する倫平らしい気ままな選択だった。
「そうこうしているうちに、小劇場に対する絶望も生まれはじめてきて。高校の頃からずっと芝居ばっかり観てきたから、芝居を見る目は肥えていっちゃたんですかね。演劇とはこんなにも心が動かされるものなんだって圧倒される経験を何度も味わってきた分、その反動で面白くない芝居が多すぎることが許せなかった。何でこんなにつまらないものに時間を費やしているんだって、だったらもっと他のことがしたいって、少しずつ気持ちが離れていきました」
演劇が好きだったからこそ、生まれた不満と憤り。せめて自分が出る舞台だけは内容にこだわりたくて、客演でオファーを受けたときは、必ず台本チェックを求めた。稽古初日に台本が上がっていないことも珍しくない小劇場の世界において、倫平の要求は主催者側から見れば面倒以外の何物でもない。
「大して売れてもいない無名の役者が何言ってるんだってなりますよね(笑)。それで煙たがられたのか、20代中盤くらいから少しずつオファーも減っていくようになりました」
自分には才能がない。自ら決めた演劇人生の幕引き。
そんな倫平に、新しく1本のオファーが届いた。相手は、末原拓馬。まだおぼんろが早稲田大学の学生劇団だった頃のことだ。初めて会ったのは、渋谷の居酒屋。尻の青い演劇学生だった末原に、主役で迎えたいと口説かれた。ちょうど予定していた公演が肋骨骨折で白紙になり、スケジュールに空きがあった。主演というオファーに色気が出ないこともない。
――肋骨折れてるけどいい?
それが、倫平から末原への返答だった。かくして倫平は初めて末原の舞台に立ち、ふたりの人生が交差した。タイトルは『鬼桃伝』。09年4月、末原は23歳、倫平は27歳の春だった。
「けど、そのときは別に劇団員になるとかそんな感じではなくて、おぼんろとの関わりはそれっきり。俺は俺で役者を続けていくうちに、自分の演劇人生にひとつの区切りをつける時期がやってきました」
その区切りとは、自分で作・演出を務めることだった。ずっと役者一本でやってきた倫平に、作・演出の経験はない。けれど、年々自分が面白いと思える作品との出会いが減っていく中で、何かひとつ本当に面白いと思えるものを自分の手でカタチにしてみたかったのだ。仲間を集め、稽古で汗を流し、本番を迎えた。公演期間は、わずか4日。打ち上げ花火のように短い公演だったが、その花火は倫平にとって演劇人生の集大成となった。
「もうそこで満足しちゃったんですよね。作品に対して納得できたし、やって良かったと思えた。同時に、自分の才能の限界にも気づいたんです。俺には役者としても作家としても演出家としても才能がない。だからこれ以上続けたって仕方ないし、もうその情熱もなくなっているんだって。そのことをリアルに実感しました」
公演を終えた倫平は、突然旅へ出た。演劇仲間との音信を一切絶ち、明確な目的もないまま日本中をめぐった。旅の期間は約半年。その間ずっと倫平は風の音を聴き、空の色を眺め、とりとめのない思想に耽るだけの日々を送った。それは倫平にとって、15の春から始まった長い演劇への思慕に幕を下ろすための儀式だった。終止符を打った倫平は、旅から帰還。演劇を捨て、普通の日常に戻るはずだった。そう、ある計算外の再会が起きるまでは。
末原拓馬との再会。そして始まった、おぼんろ・高橋倫平の物語。
「風の噂で、末原が路上で芝居をやっているって聞きつけたんですよ。末原は『鬼桃伝』の後、次の公演で大失敗して、劇団解散寸前にまで追いこまれていた。それで、オーディションで合格してNODA・MAPに出たりしてたんですけど、その間も終演後にひとりで芸劇のすぐそばで路上芝居をやってるって話を耳にして。どんなことをやってるんだろうって見に行くことにしたんです」
ひねくれ屋の倫平は、これまで末原拓馬の芝居をいいだなんて思ったことはなかった。だけど、路上でひとり芝居をする末原を見て、初めて心が震えた。下手くそな末原拓馬を、カッコいいとさえ思った。上演を終えた末原に手渡したのは、激励代わりの5000円札。その金でふたりで飲みに行こうと思ったら、末原は「すみません、明日も本番あるんで…」と礼だけ言って、さっさと引き上げていった。そんなところも末原拓馬らしくて、おかしかった。
そして後日、倫平は末原にこう告げられた――芝居がやりたいんです。一緒にやってくれませんか、と。
「台本も何もあがってない。でも、構想だけはある。その話を聞いて、次の日には劇場を抑えに行きました。そこは劇場でもない、わずか8坪、20人も入ればいっぱいになるだろうっていうフリースペース。でも、末原の物語にはぴったりだった。そこから出演者も一気に集めて、1ヶ月後には本番を迎えました」
それが、第6回本公演 『狼少年二星屑ヲ』だった。以降、倫平はおぼんろの本公演に関しては毎回出演し続けている。一度は解散寸前に追いこまれたおぼんろも、口コミで動員を増やし、今では動員4000人に迫る人気劇団へと成長した。倫平は、間違いなくその立役者のひとりである。
さらに制作のいないおぼんろにおいて、第8回本公演『狼少年二星屑ヲ』(再演)以降、劇場手配をはじめとした制作業務を倫平が一手に引き受けている。あれだけ嫌がっていたはずの面倒のすべてを、なぜか自ら買って出ているかたちだ。「みんながやらないから、仕方なくやっているだけ」と話すその口ぶりには、自分にはない才能への愛とリスペクトがにじみ出る。
「俺はいつも末原が突然言い出した適当なことに巻きこまれてばっかり。後先なんて考えない、本当のバカなんですよ、アイツは。ただ、俺がアイツに言っていることはいつもひとつ。“お前は自分の好きなことをやりなさい。それを俺が支えるから”って。それだけです」
もう演劇を好きではない。そんな自分が、それでも演劇を続ける理由。
そう苦笑いする倫平の表情は、手のかかる子どものことを語る父のそれとまったく同じだ。末原との再会から6年が過ぎたが、以降の倫平は数える程度しか外部の出演をしていない。
その間にプライベートも大きく変化した。結婚は2011年。長男は今年でもう4歳になる。一度は区切りをつけたはずの演劇人生。だが、それでも倫平はまだおぼんろの舞台にだけは立ち続けている。その理由は何だろうか。
「小劇場は好きじゃないとできない。本当にそれはそう思います。じゃあ今の自分はと言うと、もう演劇を好きだとは現在進行形では言い切れない。だから、なぜ続けているかと聞かれたら、とても例外的なケースだと思いますよ、俺は」
それからひと息ついて、倫平は続けた。
「俺が大事に思っているのは参加者(観客)のみなさんです。参加者のみなさんが求めてくれているのがわかるから続けられる。それが俺の続けている理由です」
おぼんろがつくり出す語り部(演者)も参加者(観客)も一体となった世界。そこに身を置くこと。そこで生きること。その瞬間だけは、かつて演劇を本気で愛した気持ちが甦ってくる。参加者の笑顔が、すすり泣く声が、温かい拍手が、あともう少しだけと倫平を舞台に舞い戻らせるのだ。
演劇なくして俺の人生はない。その言葉に秘めた演劇への愛と感謝。
以前、末原は倫平についてこう語った――まだ何もなし遂げていない時代に、「俺はお前の才能に賭ける」と言ってくれたのが倫平だった、と。
演劇と家庭、どちらが大切かと問われれば、答えはもう決まっている。けれど、家族の生活を背負う一家の長の唯一最大のワガママが、おぼんろの舞台に立つことなのだ。そのワガママの期限は、いつか。改めて「俺は今すぐもう演劇を辞めてもいいと思っている」という宣言の意味が深く深く沁みてくる。
「ネガティブなことばっかり言ってますけど、演劇をやったことへの後悔は全然ないです。あるとしたら、おかげで世界一周旅行ができなかった、くらいかなあ(笑)。演劇なくして俺の人生はない。それだけははっきり言える。演劇に対する感謝はすごくあります」
小劇場に限らず、人間の命が有限である以上、すべての役者に幕引きの日は必ずやってくる。いつ来るかわからない千穐楽のその日までにできることは、ただただ舞台で汗を流すこと。命を燃やし尽くすように、輝き続けることだけだ。ならば倫平はまだ本当の意味では燃え尽きてはいない。なぜなら、まだ物語ることの可能性を諦めてはいないからだ。
「末原の作品で『捨て犬の報酬』って一人芝居があるんですよ。俺は本当にこの物語が好きで、参加者もスタンディングオベーションをしてくれて。物語は何かしら人に残せるものがあるんだっていうことを本当の意味で知った作品。だから、この物語だけはずっと続けていきたいと思っています。それこそ、いくつになったとしても」
希望がある限り、決して火は消えない。35歳のイクメン俳優は、自分なりの距離感で、自分なりの速度で、まだ演劇との旅を続けている。
取材・文・撮影:横川良明 画像提供:高橋倫平
プロフィール

- 高橋 倫平(たかはし・りんぺい)
1981年7月10日生まれ。東京都出身。桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻卒業後、小劇場を中心に活動。オリジナルミュージカルカンパニー・One on Oneをはじめ、数々の舞台に立つ。09年、『鬼桜伝』でおぼんろ初参加。10年、第6回本公演 『狼少年二星屑ヲ』以降、おぼんろのすべての本公演に出演している。
小劇場の役者にとって、生活との両立はデリケートな問題だ。好きなお芝居だけではなかなか食べていけない。年齢を重ねるごとに、社会で順調にステップアップしていく同世代との差に、焦りや戸惑いを覚えることもあるだろう。結婚や出産なんて自分とは関係のないどこか別の国の話に思えてしまうこともあるかもしれない。
だが、劇団おぼんろの俳優・高橋倫平は、今や2児の父である。世空と風雲。ブログには、ふたりの愛息の成長が写真満載で綴られ、その文章には父親としての愛情が溢れ出ている。35歳、ひとりの男としても、もう十分に大人と言える年齢だ。父親となったことで、一層責任も増し、小劇場の世界とは相容れないことも増えてきた。
決して活発とは言いがたい演劇活動の中で、夫であり、父であり、俳優である彼は今、何を想っているのだろうか。