2016.08.25
泥沼の中に棲む怪物になりたい。毎月、小劇場に立ち続ける実力派俳優の未来への宣言。【X-QUEST 塩崎こうせい】

きっかけは、松田優作。大学中退の末、飛びこんだ映画の世界。
冨士山の麓、大らかな静岡の地で生まれた塩崎は、山と川を遊び場に育った。日暮れまで駆け回り、帰宅してからは共働きの両親が帰ってくるまで、オモチャを片手にヒーローごっこ。中学からはバスケに明け暮れ、高校では始発に乗って朝練に参加し、終電で帰ってくるようなハードが生活を送った。だが、同じ地区に全国常連の強豪校がいたため、なかなか日の目を見ることはなかった。
「小劇場では運動神経がいい方かもしれないけれど、スポーツの世界では並以下」
そう本音を漏らす。全国レベルと自分の差を肌で感じた塩崎は挫折。次なる目標が見つからないまま、何となく大学に進学した。
「その頃は別に演劇にはまったく興味がなくて。時代劇が好きだったから、司馬遼太郎さんとか柴田錬三郎さんの歴史小説にふれるようになったんですね。面白いなあと思って読んでいるうちに、どんどん知識欲も高まって、今度は映画に手を出すようになりました」
借りてきたVHSを再生し、ひとり映画鑑賞を楽しむ日々。その中で、ある強烈な引力を持った男に目を奪われた。画面越しにも伝わる桁違いの熱量に、観ている自分の胸まで火をつけられそうになった。男の名は、松田優作。日本映画史に輝く伝説のスターに、塩崎の心は撃ちぬかれた。
「松田優作さんは、僕にとってカッコいい男の代表格。『野獣死すべし』の松田優作さんを見て、僕も映画俳優になりたいって思ったんです。けど、俳優なんて今まで考えたことないし、どうすればなれるのかもわからない。とりあえず雑誌の後ろに載っている芸能事務所の広告を見て、自分のプロフィールを送りました」
オーディションの結果は合格。演技のことも業界のこともわからないまま、塩崎は大学を中退し、俳優人生を歩みはじめた。
一匹狼だった事務所時代。その中で目覚めた演劇の魅力。
「芸能事務所にいた頃は、正直に言うと結構鬱屈していました。スポットでCMのお仕事をいただいたり、いろいろやってはいたものの、何だか思い描いていたものと違う。淡々と仕事が決まって、現場に行って、台本をもらって、こなすだけ。“あれ? 何だか僕の読んだ松田優作の自伝と話が違うぞ”と(笑)。周りの仲間たちが何だかぬるく思えてしまって、完全に一匹狼みたいになっていましたね」
そんなとき、事務所内でマネージャーへのプレゼンの一環として舞台をやることになった。映画青年だった塩崎にとって、演劇は未知の領域。キャラメルボックスも、新感線も、大人計画も知らなかった。手渡された台本は、惑星ピスタチオの『破壊ランナー』。現実離れした世界観に、最初はふざけているのかと呆れ顔だった。けれど、やればやるほどその面白さに身震いした。たった2時間程度の物語を、いい大人たちが何十時間もかけてつくる。そんな演劇の泥臭さに取り憑かれた塩崎は、事務所を3年で退社し、演劇の世界へと転身。当時23歳、少し遅めの演劇人生開幕を果たした。
X-QUEST初出演で初主演。そこには世にもカッコいい大人たちがいた。
所属劇団であるX-QUESTの主宰・トクナガヒデカツとは、初舞台で知り合った。と言っても、本格的な共演場面があったわけではない。まだ駆け出しの塩崎はアンサンブルキャスト。誰の目にもとまらない、小さな役のはずだった。
が、それに目をとめたのが、トクナガだ。舞台を終えてしばらくしてトクナガから電話が入った。聞けば、自分の劇団に出演しないかというオファーだった。しかも、役どころは主役。まだ右も左もわからない若造には、身に余るような話だった。事態の大きさも飲みこめないうちに稽古が始まり、塩崎はただ一心不乱に喰らいついた。
遅筆で知られるトクナガの現場は、瞬発力がモノを言う。台本がない中でどんどん芝居をつくり、決まったことを最短速度で一定のレベルまで仕上げる。そのスピード感に、圧倒された。それは、とても心地の良い感覚だった。自分よりすごい人がたくさんいる。この興奮は、ヒーローものに憧れた男子特有の感情かもしれない。松田優作に影響を受け、飛びこんだ俳優の世界。だけど、なかなかすごいと思える人には出会えなかった。こんなふうに芯から震え上がる経験は、塩崎にとって久しぶりのことだった。
奈落でメイクをする劇団員。その姿に、胸を打たれた。
「今でも忘れられないことがあるんですよ」
そう言って、塩崎はこんなエピソードを紹介してくれた。それは、初めて出演したX-QUESTの本番中のこと。劇場は、中野ザ・ポケット。座席数約180の小劇場に、総勢20人前後の出演者が集結した。当然、楽屋は役者たちでごった返す。新人の塩崎は、自分の場所などあるはずないと最初から決めこんでいた。ところが、「主役なんだから」と人でいっぱいの楽屋の中で塩崎のために鏡前が用意された。その粋な心遣いに、駆け出しの若武者は感激した。
しかも、話はそこで終わらない。本番中のある日、塩崎はあることに気づいた。楽屋に劇団員の姿がないのだ。共演者に尋ねると、「奈落にいるよ」と教えられた。慌てて覗きに行くと、鏡も何もない倉庫のような場所で、劇団員たちがメイクをしていた。恐縮する塩崎に、トクナガたちは何でもないように笑った――いいんだよ、客演さんなんだから、と。
「なんてカッコいい人たちなんだって痺れましたね。新人の僕に特等席をくれて、自分たちは何も言わず、日の当たらない奈落で支度をする。しかもそれを誰にアピールするわけでもない。現に僕は自分で気づかなければ、最後まで知らないままだったわけですから。この人たち、カッコいいなあって。この人たちとなら一緒に頑張れるなあって、そう思ったのをよく覚えています」
その予感は、現実になった。公演後、トクナガに呼び出された塩崎は、直々に入団の誘いを受けた。もちろん塩崎の返答はひとつしかない。以降、現在に至るまで、塩崎はX-QUESTの看板俳優として劇団人気を引っ張り続けている。
エンターテイメントは命懸け。1ステ5リットルを消費する日々。
塩崎こうせいと言えば、その圧倒的な身体能力がトレードマークだ。誰よりも軽々と跳躍し、目を疑うような滞空時間で重力を無視したアクションをこなす。そんな超人級の肉体を持つ男でも、一度だけ体力の限界に近づいたことがあると言う。それが、2011年、灼熱の夏に上演した『ムサ×コジ』だ。
「本番中に熱中症になったんですよ。僕の役はとにかく出ずっぱり。しかもひたすら戦い続けているような役です。終演後、脚の痙攣が止まらなくなって、救急車に乗って病院へ行ったら、お医者さんから“フルマラソンを走った人と同じ症状だ”って言われました(笑)」
決して上演中、ケアを怠っていたわけではない。袖に引っこんだ隙に、3リットルものスポーツドリンクを飲み干した。それでも燃焼する肉体は止められなかった。
「おかげで次の日からは5リットルのスポーツドリンクと梅干しを摂るようになりました。公演中は、1食2000キロカロリーの食事を毎日3食平らげても、どんどん痩せていくような状態。千秋楽が終わった後は、芝居を終えたというより、何とか無事に生き延びたという感覚でしたね(笑)」
何でもないことのように話すが、1ステージで5リットルのスポーツドリンクを飲むということは、昼夜両ステージがある日は、1日に10キロのスポーツドリンクを体内に流しこんでいることになる。だが、芝居が終われば、身体はカラカラだ。この事実だけで、どれだけ過酷なステージなのかがわかる。華やかなエンターテイメントを支えるのは、強靭な肉体と精神。塩崎は、そんな苛烈な舞台にほぼ毎月のように立ち続けているのだ。
簡単に食える職業じゃない。だからこそ、自分の“カッコいい”に背きたくはない。
「オファーを断る理由はスケジュールだけ。物理的に無理なもの以外、全部オッケーしています」
そう作品選びの基準を明かす。キャリアで言えば十分に中堅どころ。そうなれば、ある程度、値踏みをしても責められはしない。しかし、塩崎はまるで新人俳優のように、公演の規模や団体の知名度を問わず、多彩な作品に出続けている。
「オファーをくださる方たちの作品を語る顔が好きなんですよ。その中で塩崎さんのことはこう使いたいんだって一生懸命話してくれるのを聞いていると、僕もやらずにはいられなくなる。売れてない時期があったからこそ、僕のために場所を用意してくれることがうれしくて仕方ないんです」
それが、塩崎こうせいの男気だ。必要としてくれる人がいるなら、どんな無茶や無謀も厭わない。求められれば、ひと肌でもふた肌でも脱いでみせる。保身や打算、不要なプライドは存在しない。なぜなら、塩崎こうせいの思う“カッコいい”とは、そういうことだからだ。
「ある演出家さんに、“塩崎くんの演技は、役者じゃなくてロックンロールだ”って言われたことがあって。それが何だかしっくり来たんですよね。音楽で言えばTHE BLUE HEARTSとか、男臭いものが好き。本当はもっと愛想よく立ち回ったらいいのかもしれないけど、なかなかそれができないんです。自分の中の基準があるとすれば、“カッコいい”かどうかってことかもしれません。もちろんそれは見た目っていう意味じゃなくて。役者なんて簡単に食える職業じゃないし、お金を稼ぎたいなら他にいい仕事はいっぱいある。それでも続けるんだから、せめてカッコよくなきゃダメだろうって」
昭和気質の職人肌。無頼、という言葉が不意に浮かんだ。
「無頼までいけているといいんですけど、なかなかまだそうはなれないですね。やっぱりファンのみなさんから褒められたら舞い上がっちゃうし(笑)。でもきっとそんな渋くて無頼な男が僕の“カッコいい”のゴール。そこまでの僕は、きっとずっと途中経過なんだと思います」
小劇場は、マイナーだからこその凄みをもっと大事にしたい。
キャリアも10年を超え、その豊富な客演数から小劇場界のつながりも広い。小劇場に立ち続ける俳優として、改めて小劇場に対する想いを聞いた。
「やっぱり簡単に食えるわけじゃないし、世間的にも下に見られているところはあると思う。でも、別に僕は小劇場をメジャーにしようとも思っていないんですよね」
そんな予想外な答えが返ってきた。しかし、それは小劇場への諦めではない。むしろその言葉の裏側には小劇場への絶大な畏怖がある。
「マイナーだからこその凄みをもっと大事にしたいなって。だって、それは絶対にメジャーでは出せないものだから。たとえるなら、泥沼の中にいるようなもの。たまに引き上げられたときに、“すげえ変な怪物がいる!”ってみんなが腰を抜かすような、そういう役者になれたらいいなって思ってます。すごい中二っぽいですけど(笑)」
沼の下にいる得体の知れない怪物。決して美しいわけでも華やかなわけでもない。だが、ひとたび目にすれば瞼に焼きついて離れない。その存在だけで肌が粟立ち、息を飲む。勇者でも王子でもなく、そんな怪物を、塩崎は今、目指している。
「国として俳優養成機関が確立しているわけではない日本の状況を考えれば、小劇場がなくなったら役者という職業そのものが危ぶまれる気がします。だから僕は小劇場という文化は絶対に残したいし、もし小劇場の世界に飛びこみたい人がいるなら迷わず挑戦すればいいと思う。小劇場は、名と実力をあげれば誰でも引っ張りだこになれる世界。運とか事務所とか関係ない。役者にとって、こんなワクワクする世界はないし、ロマンがあると思うんですよね」
頑張れば必ず残る。だから塩崎こうせいは絶対に自分の限界を決めない。
そう持論を述べる塩崎には、ずっと心に掲げ続けている金科玉条がある。それはまだ芸能事務所にいた20代前半のとき、レッスンを担当してくれた講師の先生がくれた言葉だ。
「“この世界は義務教育じゃない。誰も君たちに役者をやってくれなんて言ってない。だから君たちが頑張るしかないし、頑張れば必ず残る”って。今でもこの先生の言葉がふっと頭に浮かぶ瞬間があるんです。あの頃、一緒に役者を目指した仲間は、もう誰ひとりこの世界にはいない。でも僕は今もまだ俳優を続けている。たぶんそれは頑張り続けたから。それだけだと思う」
シャイな印象の塩崎も、こと役者論に及ぶと、言葉に熱が帯びる。そのエネルギーは、舞台で圧倒的な熱量を放出し続ける塩崎こうせいそのものだ。
「いずれは僕もメジャーに行きたいと思っています。でも、それは一緒にやってきた共演者や仲間の希望になりたいからっていうのがあるんですよ。僕がここからどこまで行けるかはわからないけど、現に小劇場から売れた人はいっぱいいる。小劇場に未来はないなんて悲観する人もいるけれど、そんなことないよって言いたいですね」
映画の世界を夢見た青年は、いつしか演劇という魔窟に足を踏みこみ、その愉悦の虜となった。長い俳優人生の中で、思い通りにいかなかったことも一度や二度ではないはずだ。しかし、あらゆる苦難も食らいこみ、怪物・塩崎こうせいはますます強靭になっていく。泥沼からその顔を出したとき、世間はどんな反応を示すだろうか。それはきっと、とても爽快な“地獄絵図”だ。
取材・文・撮影:横川良明 画像提供:塩崎こうせい
プロフィール

- 塩崎 こうせい(しおざき・こうせい)
1978年12月21日生まれ。静岡県出身。05年、『イヌのチカラ』よりX-QUESTに所属。以降、劇団本公演の他、大小さまざまな舞台作品に出演している。役者としての活動の他にダンスの振り付けも行っている。主な出演作はNODA MAP『パイパー』や西田シャトナー作・演出『ソラオの世界』『ロボ・ロボ』『熱闘!!飛龍小学校☆パワード』など。
小劇場のラインナップに目を通していると、毎月のようにその名を見かける。15年の出演本数は年間13本。塩崎こうせいは近年最もハイペースで舞台に立ち続けている小劇場俳優のひとりと言えるだろう。
男らしいワイルドな風貌にファンも多いが、本人は至って謙虚。自分のことを語ると、照れ臭そうに笑うシャイな一面も持ち合わせる。だが、その芯にあるのは、決してブレることのない無骨な俳優魂だ。小劇場という独特の世界で戦うファイターは、今日も、愚直に、一途に、板の上に立ち続ける。