2016.08.25

ようやく火がついてきた気がする。成長劇団の一員が見せた密やかな変化と決意。【子供鉅人 億なつき】

ようやく火がついてきた気がする。成長劇団の一員が見せた密やかな変化と決意。【子供鉅人 億なつき】

彼女は、とてもピースフルな女性だった。イントネーションこそ関西弁そのものだが、話すテンポはスローリー。関西人特有のまくし立てるようなせわしなさは、まったく感じさせない。ふふふ、と笑い、答えに困れば「わからないです」とあっけらかんと返す。この街のスピードやルールにまるで縛られない、どこか別の次元で生きているような印象を受けた。
彼女の名前は、億なつき。劇団子供鉅人の俳優のひとりだ。役者になろうと思ったわけではない。ただ大好きな子供鉅人の一員になりたくて、この道を目指した。そんな彼女は今、少しずつ心境の変化を迎えている。
これは、自由に、正直に生きる俳優の、これまでとこれからを綴った物語だ。

山ばかりの田舎町で育んだ、大らかな感性と、都会への憧れ。

01

頭に乗せたふたつのお団子。シンプルな白いブラウスに大きめのゴールドの耳飾りで現れた彼女は、都会の喧騒とは不釣り合いに見えた。むしろ、広い草原に四肢を伸ばして寝転がり、気ままに歌でも唄うような遊牧的な空気の方がよく似合う。そんな億の大らかさは、もしかしたら彼女の生まれ故郷に由来しているのかもしれない。

出身は兵庫の但馬。四方八方を山に囲まれ、町でいちばん高い建物は、とある工場の従業員が暮らす五階建てのマンション。空は遠く、最新の流行や情報はもっと遠い、そんな町で彼女は生まれ育った。

「あんまり深く物事を考える性格ではないです。コンプレックスもそんなに感じたことないかなあ。あ、でも唯一コンプレックスだったのは、育ったところが田舎だってこと。付き合っている子と帰ってたりするとね、近所のおばちゃんがお茶飲みながら見てて、1日であの子とあの子付き合っているよって広まるんですよ(笑)」

性格は、猪突猛進。これだと決めたら何も考えずに突き進む。反面、「私、頭使ってないんだってことを最近いろんな人の話を聞く中で感じています」と笑う。

「昔のこととか全部忘れてしまうんですよね。辛いことも楽しいこともすぐに忘れる。もうね、砂みたいに、サラサラ流れていくんですよ。小さい頃の記憶がある人って、その頃からちゃんと頭を使っているから覚えているらしいんで、私、全然頭使ってなかったんやなあって今さら実感してます(笑)」

そんな少女時代の億が、猪突猛進の勢いで取り組んだのがバスケットボール。小4から始め、高3までの9年間を捧げた。ポジションはセンター。ポイントゲッターとしてチームに貢献した。華麗なパスを決めたとき、自分の放ったボールが吸いこまれるようにゴールネットを揺らしたとき、沸き上がる歓声に言い尽くせない快感を覚えた。

気ままなキャンパスライフ。ひょんなことから初舞台へ。

02

彼女が服飾系の進路を目指し、生まれ故郷を出たのは18歳のこと。山の向こう側にある世界をこの目で確かめてみたかった。

「地元はスーパーがギリギリひとつあるくらいの田舎町。部活もしてたし、お小遣いももらってなかったから電車でどこかに出かけるっていう発想もなかった。そんな田舎者の私が唯一都会とつながれるのが、ファッション雑誌だったんですよ。オシャレがその頃から好きで、ファッション雑誌をめくってると何だか特別な気持ちになれた。だから、私にとって、都会に出ること=ファッションの勉強をすることだったんです」

だが、現実とはしばしば予想外の出来事の積み重ねだ。第一希望だった京都の大学に落ちた億は成安造形大学へ。琵琶湖を一望できる自然豊かなキャンパスで大学生活を送ることとなった。

「都会に出るつもりやったのに、結局また田舎っていう(笑)。でもそれが逆に良かったんですね。おかげでのびのびとした学生生活を送ることができました」

気の合う仲間と音楽を聴きながら酒を飲む、開放的な日々。時間は、無限にあるようだった。流れる音楽に合わせて身をくねらせ踊る億に、仲間は笑い、手を叩いた。こういうのを仕事にできればなあ。そんな夢とも妄想ともつかない憧憬を頭の中でぼんやり広げる億に、友達が「演劇をやってみないか」と声をかけた。それまで自分が役者をやるなんて考えたこともなかった。まさに青天の霹靂だ。しかし、この誘いが結果的に億の初舞台につながった。

「学内サークルの公演なんですけどね。声の出し方も体の使い方もわからない。そんなところから始まって、台本の中にあるニュアンスを汲み取ろうと一生懸命やってました。楽しいは楽しかったけど、別にだからと言ってこの先も演劇をやっていこうとか、そういう気持ちは全然なかったですね、まだその頃は」

カリスマとの出会い。子供鉅人が人生を変えた。

03

億を本格的に演劇の道へ引きこんだのは、子供鉅人との出会いだった。きっかけは、大阪・心斎橋のある古着屋。そこで億は、ひと目見ただけで強烈な憧れとシンパシーを感じる女性店員に遭遇した。ファッション、佇まい、話し方。きっとこの人は私と同じ音楽を好きに違いない。そう電撃的に確信した億は、唐突な直感とありったけの勇気を振り絞り、その女性店員に話しかけた。

――あの、『あふりらんぽ』、好きですよね。

女性店員は、驚いたように声をあげた。

――えー! 一緒にお芝居やってるよ。

その女性店員こそが、億が“カリスマ”と慕う子供鉅人の俳優・キキ花香だった。あふりらんぽとは、00年代に大阪を中心にコアな人気を集めた女性2人組のギターロックバンド(10年に解散。16年再結成)。億がこの上なく愛するミュージシャンだ。そんなあふりらんぽは、ミュージシャンとのつながりが深い子供鉅人の舞台にしばしば参加することがあったのだ。

予想外の返答に、億もまた驚いた。こんな運命的なことがあるだろうか。キキ花香から渡されたフライヤーに導かれるまま、公演当日、億は劇場の客席にいた。目の前で始まったのは、ファンクで、アングラで、雑然としているようで極めて純度の高い不思議な世界。見たこともない舞台に、億は我を忘れて釘づけになった。

「以前自分が出た舞台と、同じ演劇やのに全然違った。舞台を観ているのに、絵を見ているような感じがしたんです。まるで自分がカメラのシャッターになったみたいでした。どのシーンを切り取っても写真みたいに綺麗で、強烈で。アートやと思ったし、純粋にオシャレやと思った。演劇に対してオシャレって感想を持つことは、子供鉅人でなければなかったと思う。それくらい私の中では衝撃でした」

尊敬から仲間へ。憧れの相手にとにかく必死で食らいつく日々。

04

そこから子供鉅人にのめりこんだ。決して演劇に嵌りこんだのではない。彼女が好きになったのは、演劇ではなく、子供鉅人だ。そして、5周年記念出演者オーディションを機に、初めて子供鉅人に客演として参加。憧れの舞台に、今度は自分が立つこととなった。

「一緒にやってみて、まず印象的だったのが、みんなすごい真面目な人なんやということでした。外から見てるとパーティーピーポーの集まりってイメージがあったんですよ(笑)。実際、パーティーピーポーの集まりなんですけど(笑)、“はがれそうなかさぶた”っていうくらいヒリヒリしている人ばっかり。稽古に取り組む姿勢は真面目そのものでした。だから私も置いていかれたくなくて、必死で食らいついていきました」

億に与えられた役は、風俗嬢。愛する男と逢引するがセックスはしない女。「ボス(主宰の益山貴司)からはめっちゃ怒られました」と述懐する。

「ボスは鬼です。ただ、理不尽なことで怒鳴ったりはしない。いつも私のベースにあるものを尊重した上で、それをいかに伸ばそうか考えてくれるし、間違えていることはストレートに間違えているよって教えてくれる。私にとってボスは恩師です。稽古場に入って、子供鉅人という集団がより好きになりました」

05

公演が終わった後も、子供鉅人との交流は続いた。イベントがあれば顔を出し、いつの間にかその場にいることが誰にとっても自然な景色になった。何か大きなきっかけがあったわけではないと言う。気づけば億は子供鉅人の劇団員になっていた。羨望のカリスマは、共に作品をつくる運命共同体となった。

「そのとき、大学4年生になってましたけど、就職しようとは思わなかったですね。それくらい子供鉅人との出会いは大きかった。私の人生のターニングポイントだと思います」

ボスの描く物語が面白いって信じている。

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普段はゆったりとした口調の億だが、子供鉅人に話題が及べば、途端に饒舌になる。その満ち足りた表情は、好きなものについて話すとき、人はこんなにも幸せそうなのかと再発見する想いだ。

「私はボスの描く物語が面白いって信じているので。信じるものが1個あるっていうのは大きいなって思います。ボスの世界は、何て言うんやろう、ほら、寝ているときに見る夢ってあるじゃないですか。あれをそのまま立体化させたような、そんな感じなんですよね」

目を覚ませばもう何も思い出せないほど、あやふやでおぼろげ。なのに、まるで現実に体験したかのように、何年過ぎても瞬間瞬間の光景を克明に頭の中で再現できる。そんな儚さと確かさが、子供鉅人の世界にはある。その美しい夢に、億もまた虜にされた。

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「でも、スカしてないところが好きです。すごい土着的」

そう付け足した。だが、それだけ焦がれた人たちと作品づくりを共にすれば、役者として重圧にさらされることはないのだろうか。

「認められたい気持ちは常にあります。今も稽古場に行くときは、プレッシャーでピリピリしてますよ。でも、大好きな人たちと一緒にお芝居をやれてるのは幸せやなあって感じることの方が多いですかね。みんな、人間としてもそう簡単に転がっているような人たちじゃないので(笑)」

お客さんと喧嘩がしたい。代表作再演へ宿る主演俳優の闘志。

08

そんな億は、2016年9月、子供鉅人初の東京芸術劇場進出作品となる『幕末スープレックス』で主演を飾る。本作は、4年前、東京・大阪の2拠点で上演され、劇団としては初めて動員1000名を突破した人気作だ。億は初演に続き、再び主人公・バクマツを演じる。

「初演のときは初めての主役で、最初は“やった~!”って思ってましたね。でも主演をやってわかったことは、主役って周りの人の支えがあって成り立っているんやなっていうこと。特にこのお話は30名以上もキャストがいて、そこに生バンドも加わる。その熱の中で、私が台詞を言う。それはもう自分ひとりでつくれる空気じゃないんですよ。この作品から、演劇に関しては、自分がやりたくてやっているんじゃなくて、やらせてもらっているんだっていうふうに考え方が変わりました」

子供鉅人を取り巻く状況も、4年前とは大きく変わった。東京進出から順調にファンを増やし、今や子供鉅人は新世代の旗手として演劇ファンも評論家も注目する存在となった。

「規模も大きくなったので、前と同じことはできないっていう怖さはめちゃくちゃあります。私としては、とにかくお客さんと喧嘩がしたいなと思っているんです」

喧嘩、という予想外の言葉に、反応につまった。すると、億は自分の頭の中を整理するように、ひとつずつ、丁寧に、今、思い描く理想の役者像を説明してくれた。

「舞台に立っていると、見ているお客さんも全身全霊でお芝居に向かってきてくれているんやっていうエネルギーを感じるんですよ。だから私も本気でぶつかってくれる人とちゃんと喧嘩しなきゃあかんなあと。お客さんの圧に喧嘩できる役者でありたい。それが、今の私の目指すところです」

ほがらかな笑顔に、バスケで鍛えた体育会の魂が垣間見えた。

目を覚ました向上心。自分から着火しないと誰にも見つけてもらえない。

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注目劇団の一員として、最近は少しずつ自分自身の役者としての活動も再考するようになったと言う。

「これまで子供鉅人が絶対に面白いと思っていたからこそ、自分がよそに出て、こんなやつが子供鉅人の役者なのかって思われるのが嫌で、できれば人目につかないように、この劇団だけでやっていければええやって思っていたんですよ。でも、劇団が大きくなるにつれて、私もいち宣教師にならないといけないということは感じています」

これまで決して積極的ではなかった外部への客演についても、そう意欲を示した。

「もちろん単に子供鉅人の布教だけが目的じゃないんですけどね。やっぱり自分よりお芝居の上手い人はいっぱいいる。その人のそばで芝居して、もっと吸収していけたらっていうのが純粋な想いです。そういう意味では、ようやく火がついてきたのかな。と言うか、自分から着火しないと誰にも見つけてはもらえない。そう思っています」

その顔は、先ほどまで見せていたふにゃりと柔らかい面差しとはまた違う。ほんの少し凛々しく、きゅっと引き締まった表情に、今、彼女が「変わり目」に立っていることを感じた。子供鉅人との出会いから始まった億の演劇人生は、今、次のチャプターをめくろうとしている。

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取材・文・撮影:横川良明   画像提供:億なつき

プロフィール

億 なつき(おく・なつき)

1988年8月18日生まれ。兵庫県出身。俳優。成安造形大学卒。11年、『アッパーグラウンド』より子供鉅人に参加。日本人離れした体格の良さと、劇団いちの低音ボイスを武器に『幕末スープレックス』ではタイトルロール・バクマツ役を務める。衣装のデザイン、製作も行う。子供鉅人のミラクルメーカー担当。